やってみなはれ。やらなわからしまへんで

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表1●サントリーの歩み

今の多くの日本企業にとっての共通課題は、新市場創造である。昨年、新浪剛史氏のサントリーホールディングス社長就任が注目を集めたのも、この時代感覚との共鳴があるからだろう。サントリーは、いわずと知れた日本のリーディングカンパニーのひとつ。近年は、海外企業への積極果敢なM&Aで注目を集めていた。新浪氏という初の同族外の社長を迎える人事は、サントリーの経営が新しいステージに入りつつあることを印象づけた。

とはいえ、サントリーは、受け継いできた歴史とビジョンを捨て去ろうとしているわけではないようだ。たとえば注目したいのは、各紙の報道にもあったように、新浪氏の社長就任発表の席で、社長(当時)の佐治信忠氏が次のような発言をしていることである。

「『やってみなはれ』の人だ」

佐治氏は、新浪氏を評してこのように述べている。

「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」

サントリーの創業者の鳥井信治郎氏は、よくこのように口にしたという。この言葉は、サントリーの企業理念のひとつの柱として、今に受け継がれている。

資料をひもとくと、「やってみなはれ」の精神は、後述するウイスキーやビールの事業ストーリーと一体のものとして語り継がれてきた。こうしたストーリーを踏まえることで、「やってみなはれ」とは、戦略思考なき行動の奨励ではなく、やってみることから始まるプロセスとの対話の推奨だということが見えてくる。

サントリーの事業の原点となるのは、1907年発売の甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」。甘味葡萄酒とは、輸入したワインに、香料と甘味料を加えたものである。信治郎氏がこのような調合を行ったのは、輸入された本格的なワインは、当時の一般的な日本人の口には合わなかったからである。

20年代に信治郎氏はさらに山崎工場を建設し、ウイスキー製造に乗り出す。この国産ウイスキーへの挑戦は、当時の全役員がこぞって反対したという。相談を受けた財界人たちも、常識に合わないと、否定的だった。蒸溜所の建設には多額の資金が必要であり、長期間原酒を寝かせるウイスキーは、資金回収に時間がかかる。さらに当時の大多数の日本人にとって、ウイスキーは馴染みのない酒だった。

信治郎氏は、次のように答えたという。

「わしには、赤玉ポートワインという米のめしがあるよって、このウイスキーには儲からんでも金をつぎ込むんや。自分の仕事が大きくなるか小さいままで終わるか、やってみんことにはわかりまへんやろ」(杉森久英『美酒一代』新潮文庫99~100ページ)