2025年、お城に関するニュースで最も話題を集めたのは何か。歴史評論家の香原斗志さんは「明智光秀の居城、坂本城が国指定の史跡になったことだ。築城からわずか15年で姿を消した城の天守は、織田信長の安土城と並ぶ壮麗さだったと史料に残っている」という――。
明智光秀の像
撮影=プレジデントオンライン編集部

宣教師が書き残した「安土城に次いで有名な城」

イエズス会の宣教師、ポルトガル人のルイス・フロイスは、著書『日本史』に次のように書いている。

「明智は、都から四里ほど離れ、比叡山に近く、近江国の二十五里もあるかの大湖(琵琶湖)のほとりにある坂本と呼ばれる地に邸宅と城塞を築いたが、それは日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった」(松田毅一・川崎桃太訳)

「明智」とは、いうまでもなく明智光秀のことである。光秀が琵琶湖岸に築いた坂本城(滋賀県大津市)が、織田信長の安土城と並び称されるほど名高かった、と述べているのだ。

また、光秀と親交があった公卿で、吉田神社の神主でもあった吉田兼見の日記『兼見卿記』には、元亀3年(1572)12月24日の条に、「明智為見廻下向坂本、杉原十帖、包丁刀一、持参了、城中天主作事以下悉く披見也、驚目了」と記されている。坂本城で天主(守)を建設する現場を見学し、(壮大なので)驚いた、という内容だ。

信長が安土城を築きはじめたのは天正4年(1576)で、天守が完成を見たのが同7年(1579)なので、光秀の坂本城にはその6年ほど前に、すでに一定規模の立派な天守が建っていたことになる。坂本城が安土城と並んで「近世城郭の先駆け」と評されるゆえんである。