40年ぶりの調査で国指定の史跡に

そんな城が令和7年(2025)9月18日、国指定の史跡になったのである。国の文化審議会で評価されたのは、「織豊系城郭の立地や構造、築城技術等を知ることができる重要な城郭である」という点、そして「琵琶湖を通じた京への流通拠点に築城された政治的、軍事的、経済的に重要な城郭である」という点だった。

では、なぜいま坂本城が、こうして急に注目されることになったのか。さかのぼれば、地上に痕跡を残していない坂本城の遺構がはじめて具体的に確認されたのは、昭和54年に旧本丸と推定される場所で行われた発掘調査だった。その際、礎石建物の跡や大量の瓦などが発見され、御殿の跡ではないかと推測された。

それから40年以上を経た令和5年(2023)、宅地造成にともなう発掘調査が行われ、大きな発見があった。本丸と推定される湖岸から西に約300メートルの場所で、長さ30メートルを超え、高さ1メートル(元来は1.5メートルほどで、上部は崩されたと考えられる)の野面積の石垣で固められた、幅9~10メートルの堀の跡が見つかったのである。

また、堀に付随する舟入の遺構、礎石建物の跡などが発見され、坂本城の外郭すなわち三の丸の跡だと判断された。ほとんどが大津城に運ばれたはずの石垣が、この規模で残っていたことは、かなりの驚きをもって受け入れられた。

2021年11月の琵琶湖渇水時に水面から出た坂本城跡の石垣遺構
2021年11月の琵琶湖渇水時に水面から出た坂本城跡の石垣遺構(写真=あずきごはん/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

湖底の遺構調査でわかったこと

この現地調査には全国から2000人以上が参加して、信長の時代における屈指の城の遺構に対する、関心の高さが浮き彫りになった。そして、発見された遺構がきわめて重要であることから、開発事業者と協議が行われ、業者が開発許可の廃止を届け出ることで市と合意。発見された遺構を保存し、国の史跡指定をめざすことで覚書が締結されたのである。

折しも、琵琶湖の水位の低下により、本丸跡の坂本城址公園近辺でも、本丸のものと思われる石垣の遺構が、水面に姿を現すことが多くなっていた。この湖底の遺跡に関しても、大津市と京都橘大が約5300平方メートルについて、令和4年(2022)から、ダイビングやシュノーケリングなどによる共同調査を行ってきた。

その結果、湖中に残る石垣の北側や南側で石群やれき群が見つかった。湖中の石垣の南北の延長線上に位置する石群は、石の大きさが最大80センチほど。一方、礫群は湖岸近くに多くあって、沖に向かって張り出している部分もあった。船着き場や防波堤のような施設の跡だと考えられている。

こうした一連の発見を受けて、昭和54年に調査された本丸と推定される場所と、今回発見された三の丸の石垣と堀の、合わせて約1万1700平方メートルが、いよいよ国指定史跡になったのである。

坂本城址公園に立つ碑。城跡は住宅街となっている。
撮影=プレジデントオンライン編集部
坂本城址公園に立つ碑。城跡は住宅街となっている。