大小の天守が建ち並ぶ水城だった
元亀2年(1571)9月の比叡山焼き討ちののちに、信長から近江国滋賀郡(主に大津市の瀬田川以西)をあたえられた光秀が、信長の命によって、京都と比叡山を監視する目的で築いたのが坂本城だった。
三重の水堀で囲まれ、それぞれの堀に琵琶湖の水が引き入れられた水城だった。また、織田信長が琵琶湖の制海権を握るための拠点、という位置づけでもあったと考えられている。
堺の豪商の天王寺屋津田宗達から3代にわたる茶会記録である『天王寺屋会記』によると、宗達の嫡男で光秀の茶の師匠だった宗及が、天正6年(1578)1月11日、光秀から坂本城に招かれ、茶会を開いている。そこには「惟任日向守殿(註・光秀のこと)会(中略)会過テ、御座船ヲ城ノ内ヨリ乗候テ、安土ヘ参申候」という記述がある。
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