現在52歳の井後史子さんは以前、生活保護受給していたことがある。なぜ、経済的窮地に陥り、どのようにそこから脱出したのか。ノンフィクションライターの旦木瑞穂さんが、生活保護を卒業してわずか2年で、井後さんが年商1億円を達成するまでの軌跡を追った――。
ここまでの概要】関西地方在住の井後史子さん(52歳)は27歳の時、20歳で“出来ちゃった結婚”をした同い年の夫が、借金を残したまま家に帰ってこなくなってしまった。義両親も両親も頼れず、まだ5歳の息子を抱え、朝は新聞配達、昼は吉野家、夜はスナックで働いたが、3カ月後には倒れてしまう。さらに住んでいた賃貸マンションの家賃も滞納し強制退去の危機。夫が作った500万円もの借金の肩代わりもあった井後さんだが、そんな絶体絶命の崖っぷちを救ったのは近所の不動産屋だった。生活保護の活用を助言され、申請することにした。

平穏な暮らしの不穏な影

井後史子さん(当時28歳)は生活保護の申請が下りやすいよう、それまでの家賃12万円の賃貸マンション(3カ月の滞納)から「風呂なし、トイレ汲み取り式」の格安アパートに引っ越した。粗末な住居だったが、これは“お金の心配をしなくていい平穏な暮らし”だった。

その後、受給申請が無事に通ったが、昼間の吉野家だけは継続した(朝の新聞配達と夜のスナックは辞めることができた)。吉野家では井後さんの働きが認められ、店長代行に抜擢されたが、パートという立場に変わりはなかった。

都内の吉野家
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「結婚するときと違って、子どもを連れての離婚はいろいろな手続きがたくさんあって、しばらくは仕事とその手続きなどでほとんどの時間を費やしました。日中は忙しさで自分自身のことなど考える暇もなかったのですが、夜、子どもを寝かしつけた後は、どうしても先のことを考えてしまいます。不安や逃げたい気持ちに押しつぶされそうになっては、自分自身を叱咤激励する日々を繰り返していました」

そんな孤独で不安定な精神状態のまま、生活保護生活を早く抜けたい井後さんは、休日には就活に勤しんだ。

「吉野家のパートで頑張って働いてお金を貯めようかとも考えたんですが、『生活保護受給者は、基本必要以上の資産を持てない。貯金もできない』って言われてたんですね。なので、じゃあ、ある程度ちゃんとしたところで正社員として働かないと、生活保護卒業ってできないのかと思っていたんです」

厳密には、生活保護受給中でも貯金は可能だ。ただ、ケースワーカーに事前に相談し、許可を得る必要がある。自立のための費用、子どもの教育費、家電の買い替えなど、明確な目的があれば認められる場合が多い。確かに、数カ月は暮らしていける貯金がなければ、いきなり生活保護を卒業するのは危険に感じる。

だが、当時担当のケースワーカーが知らせなかったからかもしれないが、井後さんは貯金が可能だと知らなかった。この焦りが後に大きな後悔を生むことになるとは、この時の井後さんは知る由もなかった。