テレビ番組の「人情社長」を求めて茨城へ
土曜朝6時から大行列ができる食堂が、茨城県にある。テレビ番組で紹介された『土浦魚市場食堂』だ。2000円でマグロ食べ放題、当日が誕生日の顧客には3000円相当の魚をプレゼントする大盤振る舞いで、早朝から長蛇の列ができるという。
魚市場の社長は元金融マン。テレビの取材を受け、「右も左もわからないころに助けてくれたお客さまへの恩返しのため、『採算度外視』でサービスしている」と語った。
「たとえビジネスとして大きく儲からなくても、苦しいときに助けてくれたお客様のために」。そんな人情物語を求め、「土浦魚市場食堂」を訪れることにした。
日本列島を大寒波が襲った2025年2月8日、朝7時の気温はマイナス1℃、よく見れば雪までチラついている。それでも魚市場食堂には、既に50人以上の客が列を作っていた。
「採算度外視でやっていたら、ビジネスなんて続かないでしょ」
挨拶もそこそこに、テレビで見た「人情社長」掛札尚樹さん(59)は言った。北関東特有の波打つような発音のおかげで、言葉の印象は柔らかいが、市場全体を見渡す目は鋭く抜かりない。
テレビ番組で「人情社長」として描かれた男性は、鋼のメンタルを持ち、元金融マンらしい戦略で経営危機を乗り越えてきた、「鉄の男」だった――。
バブル崩壊後の金融業界から転身
掛札尚樹さんは、1965年茨城県東海村で理髪店の息子として生まれた。自営業の両親の期待をよそに、高校卒業後は理髪店ではなく地元の金融機関へ入社する。1983年、当時は第二次オイルショック後の景気停滞を抜け、日本という国がまさにバブルに向けて大きく伸びあがろうとしていた時期。金融業に決めたのも、事業として先行きの明るさがあったからだ。
社内の成績も悪くなかった。入社7年目には、25歳で社内結婚をする。1990年当時、日本の預金金利は8%。従業員の待遇もよく、掛札さんの所属する金融機関では年間ボーナスが給料の8カ月分あったという。バブル経済絶頂期、誰もが日本の終わらない経済成長を信じていた時代だった。
ところがこの年を頂点として、日本経済に影が差し始める。時を同じくして、掛札さんの金融マンとしての思いも陰り始めていた。当時のことを聞くと、掛札さんは少し言いにくそうに口を開いた。
「結局銀行も客商売でしょう。客商売をやるときは、お客さんの方を見ていなきゃならない。なのに銀行では、自分の出世ばかりを気にする。客商売なのに、見ている方向が違うんだね。……まあ、そんな環境でもパフォーマンスを出せる能力が、俺にあればよかったんだけどね」