名前が変わった女子学生
私が国際関係学院の実態を思い知ったのは1986年秋のこと。翌年に卒業を控えていた私は、北京で初めての学生による日本語カラオケ大会を開こうと企画した。対象は、北京の各大学で日本語を学ぶ学生たち。国際関係学院にも声をかけると、先方はよろこんで参加を希望した。才色兼備の女子学生が何人か出てくれるという。
夏休み前に開催日を決め、秋の新学期を迎えた頃にプログラムを確認するため、私はひとり国際関係学院を訪ねた。まだケータイはなくて、連絡したければ直接訪ねるのが手っ取り早い時代。窓口の女子学生は大学の寮に住んでいた。
男子学生が女子寮に入るには厳しい審査がある。私は氏名などを書類に記入し、審査を経て入館した。
受付のおばさんに女子学生の名前を告げると、「そんな人はいない」という返事。ただ、親切なおばさんで、寮内を探してみるよう勧めてくれた。
「別人です」
階段をあがる途中で本人とばったり出くわし、挨拶したら無視された。名前を呼ぶと、彼女は「別人です」と言い張る。納得できずに問い返すと、彼女は震えながら「規律を守らなければならないの。もう帰ってください」と小声で言った。狼に出くわした小動物の怯えようだった。
いきなり訪ねたのが無礼だったのかと思い、私は黙って引き返した。
夜になって先輩たちに一部始終を話すと、こう教えられた。
「あそこは2年生か3年生になると、名前を変えるんだよ」
国際関係学院の学生は、在学中に名前を変える。以後は、かつての友人とも互いに知らない者どうしになる。
3カ月前に会ったときの名前は、おそらく本名だろう。最初に会ったときの彼女は、まだ組織の事情をよく知らず、他大学の催しに気軽に応じたのだと私は思う。
結局、国際関係学院の学生は、私が主催した日本語カラオケ大会に姿を見せなかった。女子寮で「別人です」と拒絶された衝撃は、いまも鮮明に覚えている。
