スプーン曲げが生んだ「フィロソフィ手帳」

なぜ京セラでスプーンが曲げられていたのか。約30年側近を務め、のちに秘書室長となった大田が著書『それでも天を敬い、人を愛す。』で種明かしをしている。

当時の京セラには、体系化された「フィロソフィ」の公式テキストがなかった。あったのは、門外不出の講話集が30巻ほど。教材に困った教育担当者が、手探りでスプーン曲げを取り入れていたのだという。稲盛の指示ではなく、現場の苦肉の策だった。

面白いのはその後で、中止をきっかけに大田らが講話集の整理に取りかかり、1994年、全78項目の「京セラフィロソフィ」手帳が完成する。門外不出だった講話の言葉を、社員の誰もが読める形に落とし込む作業だった。多くの企業が手本にしたあの手帳は、スプーン曲げ騒動の副産物という顔を持っている。オカルトの誤解を解こうとしたら、哲学が明文化されたのだ。

では稲盛自身は、人智を超えたものをどう見ていたのか。ここからが本題である。

迎賓館に呼んだ大学生の正体

1983年3月30日。この日は、京セラがカメラメーカーのヤシカとの合併を発表する前日だ。上場企業同士の電撃的な異業種合併は、翌日、経済界を騒がせる大ニュースとなった。

30日の昼、51歳の稲盛は、透視能力を持つとされる東京農業大学2年生、山下裕人(当時19歳)を京都の迎賓館「和輪庵」に招き、6時間近く話し込んでいた。「非常に興味あるなあ」「神秘的なもんやなあ」「これは楽しいなあ」。大企業の社長が一介の大学生の話を真剣に聞いてくれたことに、山下は感激したという。

その夜、稲盛は山下を京都の会員制クラブ「イレブン」に招き、知り合いの経営者たちの前で実験をしてみせた。20人で満席になる小さな店に、40人もの経営者が集まった。山下は目隠しをしたまま、字や形を書き写してみせた。

目隠しをされる男性
写真=iStock.com/AnnaStills
※写真はイメージです

「これは信じざるを得ない」「ワシは人生観が変わった」。ざわめく出席者に、稲盛はこう語った。

「私はかねがね、心の問題と経営は関係すると思っていた。才能のあるなしではなく、心の持ち方で幸不幸が分かれる。山下君の能力をこの目で見て、心の問題の大きさをわかっていただきたい」

ちなみに、翌日発表するヤシカとの合併について稲盛が助言を求めていた相手は、円福寺の西片擔雪老師である。透視能力者と語り合い、老師に相談し、合併を発表したのだ。