不動産から鉄道、そして再び不動産へ

東急は2019年に商号を変更し、正式な社名を東京急行電鉄から東急へと改めている。その際、それまで主力としていた鉄道事業は、新たに設立した子会社・東急電鉄へ譲渡した。新たに発足した東急はメイン事業を都市開発・不動産開発へとシフトしている。これはいわば同社が原点回帰したことを意味する。

たまプラーザ駅
写真撮影=小川裕夫
東急は第2の田園調布を築くべく、多摩田園都市内にたまプラーザ駅を開設して周辺の高級住宅街化を促進した(2022年6月)

商号変更によって都市開発を事業の主力に据えたことを内外に示した東急だが、城西南地区開発趣意書を発表した1953年にグループの不動産部門を分離・独立させる形で東急不動産を設立している。東急不動産は、いわば五島の念願だった多摩田園都市を実現させるための会社でもあった。

阪急のマネをして見事成功したが…

鉄道会社が自社の沿線を開発・発展させるために不動産・都市開発を担う部署を有するという手法は、阪急総帥の小林一三が編み出したとされる。五島は小林を師と仰ぎ、その手法を模倣したことも公言している。

多摩田園都市は東急が本拠地としていた渋谷を発展させることに強く意識しつつ、野心家でもある五島の「鉄道会社が計画した史上最大規模の都市開発」を達成するものでもあった。

多摩田園都市は多くの人口を擁するベッドタウンとして結実し、そして1966年の田園都市線の開業へとつながっていく。同線は東京から神奈川へと広がる多摩田園都市の足として機能することになるが、鉄道というインフラを伴った多摩田園都市は開発から一貫して沿線・域内人口を増加させていった。

1997年には域内人口が50万人を突破。その後は鈍化してはいるものの、緩やかに人口は増え続けて現在は60万人前後で推移している。冒頭でも触れた「金曜日の妻たちへ」ブームにより田園都市線の人気は不動のものとなり、放送から40年以上を経た今もなおドラマの影響が色濃く残していることを漂わせる。

多摩田園都市の人口減少は目立っていないものの、東急は2035年に沿線人口のピークを迎えると独自試算している。それ以上に深刻なのが、高齢化率が上昇を続けている点にある。

横浜市は2035年における青葉区の高齢化率を約32パーセントと推計。青葉区は田園都市線の沿線に位置するため、横浜市が算出した高齢化の数値を東急は看過できない。人口減少もさることながら、高齢化も街にとって好ましい話ではない。