パトカーが来るまで事故に気づかなかった引率教員

ニュースで船の映像を見て、その小ささに驚いた。普段は米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する「抗議船」として活動していたと知り、さらにショックを受けた。「まさか海保(海上保安庁)に制止される船で行くなんて誰も思わない」

パトランプ
写真=iStock.com/SCM Jeans
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2年生18人を乗せた抗議船2隻が辺野古沖で転覆したのは同日午前10時10~12分ごろ。同38分までに海に投げ出された17人は救助された。

ただ一人、武石知華さんだけは船の下の海中にいた。救命胴衣が船尾付近に引っかかり、浮上できなかったとみられる。水難隊員により知華さんが引きあげられたのは午前11時15分ごろ。転覆からすでに1時間が経過していた。

引率した教員2人はいずれも船に同乗せず、漁港にいた。そこから転覆現場は見えず、港にパトカーや救急隊が到着する10時40分ごろまで、事故が起きたことすら把握できていなかったという。

事故の一報は学校ではなく同級生の保護者から

「知華ちゃんが意識不明で救急車で運ばれたみたい。学校からまだ連絡ない?」

知華さんの遺族が投稿プラットフォーム「note(ノート)」で公開した記事によれば、母親が事故の一報を聞いたのは正午ごろ。学校関係者ではなく、一緒に船に乗っていた同級生の保護者からの電話だった。

「どうしよう、知華の船が転覆して意識不明で運ばれたって、どうしよう、どうしよう」。母親は急ぎ学校に向かいながら、仕事の関係でインドネシア・ジャカルタに住む知華さんの父親に電話をかけた。

生徒が抗議船に乗るはずがない――。ニュースを確認した父親はそう判断し「誤情報だから」「抗議船には乗っていないから」と、母親を落ち着かせる言葉をかけ続けた。

午後0時29分、現地の病院で知華さんの死亡を確認。学校に到着し、情報を待っていた母親に、学校側が訃報を伝えた。

「妻とは通話を繋つないだままにしていた。私も、電話越しに娘の死を知った。それは本当に知華なのか。なんで。違う。信じるわけない」(noteから)