「人権・平和学習」という位置付けのもとに
同校の沖縄研修旅行は人権・平和学習と位置付けられる。
西田喜久夫校長は今回の研修旅行のしおりに寄せた文章で、沖縄を行き先とするのが開校した昭和55年度以来の伝統だと強調。先の大戦では「日本本土防衛の『捨て石』として沖縄戦が繰り広げられた」と指摘し、基地問題などを「『感じにいく』ことが沖縄研修旅行の意義」と記した。
辺野古での乗船プログラムが始まったのは3年前。抗議船の船長で事故で死亡した金井創氏からの提案がきっかけだったという。
運航団体は辺野古移設に反対する「ヘリ基地反対協議会」。金井氏もそのメンバーだった。事故後、教育の政治的中立性は保たれていたのかとの保護者からの質問に、西田氏は金井氏が「平和活動家」として著名だったと繰り返し、「私どもの意識としては、抗議船に乗せたのではなく、あくまで金井氏の船に乗せた認識」と釈明した。
金井氏との関係は、キリスト教に基づく教育を行う同校が、研修旅行の「開会礼拝」を依頼した平成30年ごろに始まる。以降、学校側は辺野古での出航判断を金井氏に一任するほど信頼を寄せ、船の安全確認も怠っていた。
金井氏は令和7年の開会礼拝で「辺野古の海で抗議活動をする船長をして19年になる」と生徒らに自己紹介。「基地のあるところに戦争がやってくる」「戦争になったら殺されるのはみなさんの世代」と反基地を訴えることの重要性を説いた。
金井牧師自身が危険性を強調していた
問題は、ほかならぬ金井氏自身が、海上での危険性を強調していたことだ。仲間の船長も抗議活動中に海で死亡したとし、命がけの活動の「一端を見ていただけたら」と呼びかけていた。
「抗議船ではなく金井牧師の船」という校長の言い分とは裏腹に、金井氏の船は、本人の認識において明確に「抗議船」だった。
蚊帳の外に置かれていたのは、参加する生徒であり、保護者だった。知華さんは辺野古のFコースを選んだ理由を家族に聞かれ「お友達ときれいな珊瑚礁を見る方が楽しそうじゃん」と答えた。
同級生の男子生徒は事故翌日の校長の会見をユーチューブで見た。説明が不十分で、これでは信頼は戻らないと感じた。普段の自由な校風に愛着を持っていただけに悔しさが募る。
「自分たちがどんな体験をするかは知る権利がある。学校は伝える義務があった。それをしなかったことが、許せない」

