インドの大学受験界で知らない人がいない「伝説の塾講師」がいる。アナンド・クマールさんはインドの最も貧しい子供たちに無償で勉強を教える塾「Super 30」を設立し、東大よりも入学倍率が高いインドの最難関大学へ教え子たちを次々と送り込んだ。映画化もされた彼の半生を紹介する――。(構成=科学技術振興機構さくらサイエンスプログラム推進本部アドバイザ・西川裕治)(前編/全2回)
アナンド・クマールさん
提供=アナンド・クマールさん
アナンド・クマールさん

極貧家庭に生まれ、真横を汽車が通る極小住宅で本を読む

1970年代初頭、インド・ビハール州の州都パトナは、極端な矛盾を抱えた都市であった。かつてはマウリヤ朝やグプタ朝の都「パータリプトラ」として栄え、古代インドの歴史の中心地であったこの地は、20世紀に入ると、インフラの欠如、政治の混乱、そして深い貧困の代名詞となっていた。

1973年1月1日、アナンド・クマールはこのパトナの地で生まれた。父のラジェンドラ・プラサドは、郵便局の低賃金事務員であった。父は物静かでありながら、強い知性と教育への確固たる信念を持つ男であった。彼は、「貧困から抜け出し、人間が本当の意味で自由になるための唯一の手段は教育である」と信じていた。

クマール一家が暮らしていたのは、線路に完全に隣接した、わずか1部屋半の極小の古い住宅であった。その家は単に線路に近いというレベルではなく、物理的に線路に支配されていた。1時間おきに、巨大な蒸気機関車が凄まじい轟音を立てて走り抜け、列車が通過するたびに、家全体が激しく揺れ動いた。テーブルの上のティーカップは音を立てて震え、天井の梁からは埃が舞い落ちた。壁があまりにも激しく振動するため、家族はいつも「我が家は毎日、局地的な地震に見舞われている」と冗談を言い合っていた。

しかし、この耳を聾するような騒音と物理的な不安定さの中で、幼いアナンドは自分だけの聖域を見いだしていた。近所の子供たちが埃っぽい路地で遊んでいる間、アナンドは小さな木製の机に向かい、本を凝視し続けた。彼はいつしか、列車の轟音を完全に遮断する能力を身につけていた。鉄輪が線路を叩く規則的な金属音は、彼が頭の中で数字と対話するための、静かなBGMとなっていたのである。