片道6時間の過酷な旅で得た喜び
アナンドはパトナ駅からバラナシ行きの各駅停車に乗り込んだ。彼が買えるのは、最も安価な「予約なし一般客車(自由席)」の切符だけだった。
車内は、まさに肉体の限界を試す試練の場であった。出稼ぎ労働者、小作農、そして家畜や大量の荷物で車内は超満員となり、座ることはおろか、両足でまっすぐ立つスペースすら皆無だった。アナンドは、不衛生な列車のトイレの近くにある金属製の扉に身を寄せ、大切なノートを胸に強く抱きしめたまま、6時間の旅に耐えた。
土曜日の朝、バラナシに到着すると、アナンドは駅のプラットフォームの水道で顔を洗い、そのままBHUの中央図書館へと歩いて向かった。
当然ながら、彼はBHUの学生ではなかったため、本の貸し出しやコピー機の利用は許可されていなかった(そもそもコピー代を払う金などなかった)。しかしアナンドは諦めず、読書室の片隅に陣取り、イギリスの『Mathematical Spectrum』などの国際的な学術誌の束を机に積み上げた。
土曜日と日曜日の2日間、彼は開館から閉館までの1日10時間、ひたすら文字を書き続けた。高度な数式、図表、そして論文の本文に至るまで、すべてを自分のノートに一言一句違わずにペンで書き写していったのである。インクで汚れた彼の指は何度も痙攣したが、彼の心はかつてない歓喜で満たされていた。人類の数学の最前線に直接触れているという実感があった。
極貧の片田舎の若者が数学界に名を刻んだ
夜は、バラナシで音楽を学んでいた弟プラナヴの質素なアパートの床で雑魚寝し、米とレンズ豆のスープだけの簡単な食事をとった。そして日曜日の夜、彼は手書きの宝物が詰まったバッグを抱えて夜行列車に乗り込み、月曜日の朝にパトナへと戻っては、新たな1週間を始めるのだった。
この過酷な「巡礼」は、やがて大きな果実をもたらした。手書きのノートから得た最先端の知識を基に、アナンドは自ら数論に関する独自の論文を執筆し始めた。
彼は約3年半の間、インドで最も有名な新聞のひとつであるThe Times of Indiaで隔週のパズル解説コラムを定期的に執筆しており、とても人気のある連載として評判となった。また、彼の論文がイギリスの『Mathematical Spectrum』や『The Mathematical Gazette』などの国際的な学術誌に掲載されると、パトナの学術界は騒然となった。片田舎のヒンディー語で教える公立学校出身の貧しい若者が、コピー機すら使わずに手書きのノートだけで世界の数学界にその名を刻んだのである。

