ケンブリッジ行きの切符に立ちはだかった「貧困の壁」
1994年、アナンドのたゆまぬ努力は、人生最大の栄誉となって表れた。彼が発表した論文と優れた数学的資質が認められ、イギリスの名門ケンブリッジ大学への入学許可書が届いたのである。それは、狭い路地で暮らす家族にとって、あまりにも壮大で信じがたい夢であった。
しかし、その入学許可書はアナンド一家に難題を突き付けた。学費は免除されるものの、イギリスへの渡航費、現地での生活費、アパートの家賃などは自己負担であり、貧しい郵便局員の家族が一生をかけても稼ぎ出せないほど巨額であった。
父ラジェンドラ・プラサドは、息子の未来を諦めきれなかった。ビハール州の貧しい家庭からケンブリッジに合格するほどの天才が現れたのだから、州の指導者や政府が必ず支援してくれるはずだと信じていた。父と子は、渡航資金を募るために必死の活動を開始した。
彼らはパトナ市内の政治家、裕福な実業家、政府の高級官僚のオフィスを何十カ所と訪れた。アナンドの合格通知書と、国際誌に掲載された論文を手に、彼らは涙ながらに支援を訴えた。
しかし、そこで彼らを待ち受けていたのは、官僚たちの極めて冷酷な態度と、特権階級の無関心であった。
うだるような暑さの廊下で何時間も待たされた挙句、官僚たちは紅茶をすする手を止めることすらなく、彼らを追い払った。ある有力な政治家は「郵便局員の息子が留学など身の程知らずだ。そんな金はどこにもない」と言い放った。官僚たちは「数学の妄想など捨てて、地元で事務員の採用試験の勉強でもしろ」と冷たくあしらった。
父の死でイギリス留学は完全に潰えた
絶え間ない拒絶、そして増え続ける借金の影は、父ラジェンドラの肉体と精神を確実に蝕んでいった。自分の貧しさのせいで、輝かしい才能を持つ息子の未来が閉ざされていくことへの罪悪感と苦悩が、彼の心臓に重くのしかかった。
ある夕方、冷淡な官僚たちとの実りのない面会を終えて帰宅したラジェンドラは、その場で意識を失い、崩れ落ちた。
アナンドとプラナヴは急いで父を地元の病院へ運び込んだが、重度の急性心筋梗塞により息を引き取った。息子のケンブリッジへの夢が完全に絶たれたこと、そして残された家族に一銭の貯金もないことを、誰よりも悔やみながらの死であった。
小さな家に、息が詰まるような深い悲しみが満ちた。かつて希望の光であったケンブリッジの入学許可書は、今や父の命を奪った呪いのように感じられた。アナンドは、その許可書を古いスチール製のトランクの底に深くしまい込んだ。彼は、悲しみに暮れる母とまだ幼い弟を置いてイギリスへ行くことなどできなかった。彼は、今日を生き延びなければならなかった。
