「織田信長の息子」の看板で生き延びた

どこかの時点で、信雄は悟ったのだろう。俺は天下を獲る側の人間じゃない、獲った人間に担がれる側の看板でしかない、と。だったら無理に権力闘争の主役をやる必要はない。看板の効能だけを、のんびり享受して生きればいい。

考えてみれば、信雄の人生観はある一点に集約できる。切腹さえ言い渡されなければ、あとはどうとでもなる。改易されようが、蟄居させられようが、烏山だろうが秋田だろうが、誰かしらが金と居場所を用意してくれる。本人が汗をかいて勝ち取ったものは、実はほとんど何もない。ただ「織田信長の息子」という看板を提示し続けるだけで、次から次へと誰かが養ってくれるのだ。これはもう処世術というより、一種の才能である。

天下を獲ることには最後まで向いていなかった男が、天下を獲った者たちに愛想よく養われ続けることには、誰よりも向いていた。信長の息子という看板は、信雄自身の手では一度も使いこなせなかったが、信雄という人間そのものは、切腹さえ免れればあとは野となれ山となれと、その看板にちゃっかり食わせてもらい続けた。それが、48年にわたる信雄の後半生である。

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