実行犯・見廻組の裏に誰かいたのか
――大政奉還が行われ、いよいよ新政権の発足も見えてきた頃、龍馬は突如暗殺されてしまいます。この暗殺には様々な犯人説が唱えられていますが、実際のところはどうだったのでしょう?
龍馬を「誰が殺したのか」という話題は尽きません。しかし明治三年に今井信郎が自ら暗殺したことを自白することで、龍馬暗殺の実行犯は見廻組だったと分かりました。
ただし黒幕は誰かというと、今でも物議を醸しています。というのも見廻組組頭の佐々木只三郎はじめ実行犯7人のうち、今井を除く6人は鳥羽・伏見の戦いで戦死しており、今井の証言だけが頼りだからです。その今井は見張り役なので現場にもおらず、7人の中で最も下っ端だったので、黒幕については全く与り知らないとされています。
この頃の龍馬は薩長融和を取り持ち、幕府にとって忌々しい存在でした。そのため探索方によってその動静が掴まれていました。
龍馬自身も暗殺の危険性があるのを知っており、近江屋という醤油商の店の二階に潜伏していたのですが、人の出入りが激しく、幕吏が所在を掴むのは容易でした。
幕臣の忠告を無視し、命を落とした
人というのは長い緊張に耐えられません。そのうち緊張状態に慣れてしまい、油断や慢心が生まれてきます。その典型が吉良上野介とこの時の龍馬です。
襲撃の5日前、龍馬は幕臣の大久保忠寛(一翁)と面談した際、大久保から幕吏に狙われていることを教えられていたのですが、そうした忠告を無視し、龍馬は薩長土三藩の間を行き来していました。
というのもこの時期、すでに大政奉還されており、遺恨以外で龍馬を殺す意味はなくなっていたからです。本人もそれを分かっており、個人的な恨みを誰からも抱かれていないことから、安心していたと思われます。その豪胆さが裏目に出てしまったのです。
一方の見廻組は新選組に対して功績という面で分が悪く、誰か大物一人を仕留めて名を挙げたいと思っていました。それだけの理由で、龍馬は討たれてしまったのです。
ここから分かることは、油断は禁物だということ、相手をなめてかかってはいけないこと、さらに言えば、時代の趨勢など分からない連中もいることを忘れてはならないということです。

