高度成長期は20年ほどしか続かない

【楠木】ところが、高度経済成長期には、この仕組みに大きな経済的合理性がありました。年功序列は評価の基準が客観的で定量的で透明性が高い。「今年で君も入社15年目か……そろそろ課長だな」で話はおしまいです。一人ひとりを評価するためにかかる莫大な経営コストが不要になる。それで社員が納得して働くのであれば、これほど効率的な経営はありません。日本における年功序列は、戦後の復興期に生まれた「経営イノベーション」だったのかもしれません。

ある国や地域の高度成長期は一種の「青春期」です。せいぜい20年間しか続きません。年功序列や終身雇用は、高度成長という異常な時期に異様にフィットしていた。ただし、この特殊な経営が成り立つには、猛烈な勢いで売上が伸びていかなければなりません。年功序列は「戒厳令」とでも言うべき超論理的な人事制度です。それでも高度経済成長期という異常な状態にはマッチしていた。そういうやり方が単純に得だったということです。高度成長期が終わって何十年も経過した今、戒厳令を引っ込めるのは当たり前です。

株式市場チャート
写真=iStock.com/ThinkNeo
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僕が言いたいことは、「日本的経営」ひとつとっても、それが何であって何ではないのか、意味するところを理解しなければ、すぐに理解負債に陥り、延々と空回りするということです。「日本的経営が崩壊しつつある」という話に触れたときに、まずは「ちょっと待てよ……」と批判的な視点から眺めてみる。これが対象の理解を促します。

批判を通して対象に接近する

【山口】批判というとネガティブに思われる向きもあるかも知れませんが、批判という行為を通じて対象に接近、肉薄したいわけですよね。例えば神学というのは、学問としては一種の批判体系ですが、これは対象である神への嫌悪ではなく、むしろ限りなく神に接近したいという愛情、もっというと欲情から湧き上がるものです。そういう意味で、概念をガサツに扱って批判的に捉えようとしない人は、対象に対する関心や愛着が薄いんだと思いますね。

あと重要なのは、批判というのは、必ず「言葉」を使って行われるということだと思います。思考というのは、例えば数学や物理のように、数字を組み合わせて進めるということもできるわけですが、批判というのは言葉を使うしかない。

しかも、経営にまつわる思考ということになれば、そこには複数の人が関わるわけで、思考を積み重ねるための材料である「言葉」の定義が、関係者の間で成立せずにふわふわしていれば、結果として出来上がった知的生産物がグラグラ、ガタガタしているのは当然のことだとも言えるように思います。