深い仮説や洞察は「一瞬」でやってくる

【山口】こう考えてみると、知的生産における「思考」というのは、「情報処理」というよりも、もっと編集的な側面が強いですね。本章の主題は「変換=コンバージョン」ですが、通常、情報処理のアナロジーで言えば「入力=インプット」と「出力=アウトプット」の間には「処理=プロセッシング」が置かれる。しかし実際にはそれほど手続き的なものではなく、もっと創造的な要素、つまり「入力された情報=インプット」と、「蓄積された情報=ストック」を組み合わせたり変換したりして何か新しいものを生み出す、というニュアンスに近いと思います。

「考える」ということについて、もう一つ。これも阿部謹也先生が言っていたことなんですが、例えば学生が「一日考えてみたんですが分かりません」といったことを平気で言うけれども、阿部先生に言わせると「一日考えるなんてできない。考えるというのは一瞬なんだよ」と。

【楠木】これまた深い言葉ですね。

【山口】この指摘に「ハッ」とさせられたのは、自分にもそういう経験が何度かあったからだと思います。本当に深い仮説や洞察というのは、やってくる時には一瞬でやってくる。

この時の感じを思い返してみると不思議で、「一瞬で目の前に現れる」というより、何か予感めいたものがまず寸前にあって、「あれ? ちょっと待てよ」という感覚がある。そこから息を止めて深く潜って、海底の真珠を拾ってくるようにして洞察をつかんでくる感じなんですね。感覚的には数秒とか、せいぜい10秒くらいのことなんですが。

新しいアイデアのイメージ
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新聞片手に「おーい!」

【山口】以前、コンサルティングの仕事で、二、三日、「どうしても切り口が見えないな」と悩んでいた問題があって、あるときイヤフォンで音楽を聴きながら、関連資料を流し読みしていたんです。その時「あれ? ちょっと待てよ」という、その瞬間がやってきて、その時に反射的にイヤフォンをぶっちぎってしまったんです。そこで全思考力を使って、息を止めて深くダイブするときに、ノイズを入れたくない、周囲から話しかけられたくない、そうしないとその洞察は逃してしまう、という感覚ですね。楠木先生にもそういう感覚、ありますか?

【楠木】あります。よくある表現ですと「降りてくる」というやつですね。

最近こういうことがありました。前にお話しした朝のルーティンで、ベランダで新聞を読んでいました。全然関係ないページのニュースを読んでいたのですが、突然あるアイデアが降りてきて、「あ、大変、すぐにメモしなきゃ」――ところが、そのとき妻が私がベランダにいることに気づかずに窓を閉めてしまったんです。中に入れない。新聞片手に「おーい!」と叫びながら、アイデアを忘れないように頭の中で反芻し続けました。