※本稿は、楠木建、山口周『知的生産のセンス』(日経BP)の一部を再編集したものです。
思考の基本動作としての「クリティーク」
【楠木】大学院時代に学んで良かったことの一つは、思考の基本動作として批判――粗探しや単なる否定ではない「クリティーク」―――があるということですね。批判は知的生産のセンスを醸成する上で大いに有効だと思います。これは周さんの著書『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)の話とも重なります。
野中先生の講義で『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んだときも、先生は繰り返し「批判的に読め」とおっしゃいました。未熟でもその時点での自分なりの考えがあるはずです。それと突き合わせながら読む。
そうすると、自分の考えとの「ズレ」や「しっくりこないこと」が必ずあるはずです。そこから自分の考えが形成される。それがまた新たな考えを生み、雪だるま式に思考できるようになっていくのだと思います。現実に雪だるまを作るときは、最初に小さな雪団子を作る。それと同じで、思考の核になるのが批判だと思います。
哲学は批判から成り立っている
【山口】「考える」ということの中心的活動に哲学がある、ということをあらためて確認すれば、哲学というのは、そもそも批判から成り立っている、とも言えますね。哲学というのは「その時代において自明とされていたものを、自明ではないものとして問い直すという行為」です。
例えばソクラテスは、アテナイの市民が当然のように語っていた「勇気」や「正義」や「善悪」といった言葉に対して、「本当は何を意味しているのか?」「本当の意味を私たちは分かっているのか?」を問うた。先ほどの言葉で言えば「概念の理解負債」について問題提起したわけですね。これはデカルトもカントもヘーゲルもニーチェもみんなそうです。主題は異なれど、やっているのは「みんなが言っているそれは本当に正しいのか?」という批判です。
そもそもウェーバーの「プロ倫」そのものが、資本主義とは水と油の関係と思われていたキリスト教倫理との関係について「本当にそうなのか、むしろキリスト教倫理が資本主義の苗床になったのではないか?」という、コペルニクス的転回を伴う批判だったわけですからね。

