「決壊したら死ぬしかない」

2007年には、エベレスト街道上部のイムジャ氷河湖を視察した。かつて氷河だった場所に巨大な湖が形成され、拡大していた。地元のシェルパたちは、野口さんに「氷河湖が決壊したら、私たちは死ぬしかない」と訴えた。

同じ年、クンデ村では約60年ぶりとされる土石流が発生した。野口さんが翌年再訪すると、畑は土砂に埋まり、住民は「もうここでは農業ができない」と途方に暮れていた。

野口さんが見てきたのは、氷河が何メートル後退したかという数値だけではない。

雪が雨に変わる。氷河が湖に変わる。山が崩れる。土石流が橋を流す。泥が畑を埋める。学校や住宅が失われ、最後には人間が故郷を失う。

自然環境の変化が、人間社会の存立条件を一つずつ奪っていく過程を見続けてきたのである。

ヒマラヤ山脈、メラ・ピークの登山ルートにある山小屋
写真=iStock.com/InnerPeaceSeeker
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警告を政策と行動へつなげようとした

野口さんは、登山家として感じた異変を、個人的な印象のまま語ることに終始しなかった。

自ら氷河湖を視察し、ICIMOD(国際総合山岳開発センター)や日本の研究者から科学的知見を学び、政治や国際社会へ届けようとした。

2007年の第1回アジア・太平洋水サミットでは、ヒマラヤの氷河融解と氷河湖決壊を正式議題にするよう働きかけた。ネパール、ブータン、インド、バングラデシュの首脳や閣僚との面会も重ね、氷河問題を一国の環境問題ではなく、上流から下流までを貫く「水の安全保障」として訴えた。

2008年には福田康夫首相、鴨下一郎環境相と会談し、北海道洞爺湖サミットでヒマラヤ氷河の問題を取り上げるよう求めた。

その主張は、温室効果ガスを削減するだけでは、すでに迫っている危険には間に合わないというものだった。氷河湖の水位低下、監視装置、早期警報、避難体制、砂防・土木専門家の派遣など、具体的な適応策を進める必要があると訴えたのである。

2013年の第2回アジア・太平洋水サミットでも、野口さんは「問題提起はもうそろそろにして、次は具体的なアクションに移る段階ではないか」と発信した。

危険は、すでに知られていた。

問題は、警告を観測、警報、避難、土地利用、国際協力へ変換する速度が、自然環境の変化に追いつかなかったことにある。