サッカーW杯北中米大会の1次リーグ初戦で、日本はオランダと対戦し2-2で引き分けた。前回大会のスペイン戦勝利に続き、今大会でも強豪国から勝ち点を得た。なぜ日本代表は強くなったのか。日本工業大学大学院技術経営研究科の田中道昭教授は「日本がオランダから学び、いまや対等に渡り合う。その関係史がピッチの上で可視化された夜だった」という――。
日本対オランダ戦後半、ヘディングシュートを放つ小川(右上)。鎌田に当たり同点となる=2026年6月14日、ダラス
写真=共同通信社
日本対オランダ戦後半、ヘディングシュートを放つ小川(右上)。鎌田に当たり同点となる=2026年6月14日、ダラス

「最も洗練されたサッカーをするチーム」と報道

月曜日の試合を終えて、一本の記事を読んだ。

サッカー解説者のマイケル・コックスがThe Athleticおよびニューヨーク・タイムズに書いた記事だ。タイトルは「オランダ対日本:ピッチ外の兄弟愛と、その上での鏡像的なアプローチ」。

この記事が、深く刺さった。

コックスはこの試合を2-2という数字で語らなかった。「ダラスのダウンタウンは試合前から青い日本代表のシャツとオレンジのオランダのシャツで溢れ、豪雨の中でも両国のサポーターが笑顔で語り合っていた」という情景から書き出し、この試合を「ピッチ外の兄弟愛と、ピッチ上の鏡像的なサッカーの物語」として描いた。

そして彼はこう指摘した。

日本は近年、最も洗練されたサッカーをするチームのひとつになっている。巧みなパス、角度の取り方、ポジションのローテーション。オランダが長年信じてきた「技術的かつ戦術的なサッカー」と、日本が体現するそれは、どこか深いところで鏡のように似ている、と。

さらにコックスが指摘したひとつの数字が印象的だった。

「オランダのW杯56試合の歴史上、初めて全スタメンがエールディヴィジ所属でなかった試合だった。しかし日本には2人いた。渡辺と上田、どちらもフェイエノールトの選手だ」。

この事実が、私には単なるサッカーの統計以上の重みを持って響いた。かつてオランダから学んだ日本が、今やオランダのクラブの主力を送り込んでW杯を戦っている。師弟関係の完成形が、ピッチの上で可視化された瞬間だ。

そしてコックスは記事の末尾で、この試合の真の締めくくりとして、試合後の森保一監督の言葉を丁寧に紹介した。

オランダ銀行で学んだ「水平な組織」の哲学

私はかつて、オランダ系金融機関の日本法人ABNアムロ(通称、オランダ銀行)でナンバー2を務めた。日本拠点のマネージングディレクター、オリジネーション本部長、責任者として、アムステルダム本社での交渉、オランダ人経営者との日常的なやりとり、あの国特有の文化と哲学に深く触れた時間が、日米金融機関勤務の経験とともに、私のキャリアの根底に流れている。

オランダ人と仕事をして最初に気づいたのは、彼らが「役割の固定」を本能的に嫌うことだった。会議では部下が上司に平然と反論し、肩書きより論理が優先される。個が自律しながら全体最適を作っていく水平な組織。誰もが「自分の仕事だけ」ではなく「組織全体」を考えて動く。

その文化が、サッカーでは1970年代のトータルフットボールという形で結晶化した。ヨハン・クライフとリヌス・ミケルスが生み出したこの思想、全員が全ポジションを理解し、誰かが動けばその空白を別の誰かが埋めるという思想は、単なる戦術ではなかった。小国オランダが大国に対して、知性と構造と組織でどう戦うかという国家戦略に近い哲学だ。そのDNAはクライフからバルセロナへ、グアルディオラへ、そして現代のポジショナルプレーへとつながっている。

だからこそコックスの「鏡像的なアプローチ」という言葉が刺さった。日本とオランダが似ているというのは偶然ではない。日本はオランダから学んだのだ。そして今、学んだ者がピッチの上で師と対等に渡り合っている。

私は月曜日のテレビ朝日ワイドスクランブルでも、このオランダ的な哲学の視点から、フォーメーションの数字よりその背後にある「なぜそう動くのか」という思想を語ることを心がけた。それは私自身の経験から来る、オランダサッカーへの個人的な敬意でもあった。