「僕にはもう小説は書けん」
ご承知のように、司馬さんはノモンハン事件についても太平洋戦争についても、『坂の上の雲』のような小説は書いていません。
ただ、小説以外のエッセー、対談などで、ふたつの戦争については多くのことを書き残しています。
私も司馬さんから直接話を聞いたことがあります。彼がノモンハン事件をテーマに小説を書こうと、当時の陸軍関係者に話を聞いたり、事件の資料を集めて読んでいたことは知っていました。ぜひ小説に書き残しておいてほしいといったところ、彼はいいました。
「僕にはもう小説は書けん。書いたら死ぬわ」
真顔でした。彼にとって小説を書くということは、文字通り、生命を削る作業なのだと思い知りました。もしまだ彼が『坂の上の雲』を書いたときのように若ければ、書いていたのかもしれません。
もうひとつ、司馬さんはいいました。
「ノモンハン事件であれ、太平洋戦争であれ、統帥権に触れると、昭和天皇について書かなければならない。それはまだ無理だ」
敗戦に打ちのめされた22歳の夏
もちろん、当時は昭和天皇はご存命でしたし、司馬さんは昭和天皇に対して敬意というか、好意を持ってもいました。その昭和天皇を、小説の中で重要な登場人物とするのはしのびなかったのかもしれません。
しかし「まだ無理だ」という言葉の意味は、歴史小説として描くにはあまりにも生々しく、歴史として成熟していない、そういうことだったと思います。
そうはいっても私は残念でなりません。
司馬さんの歴史小説家としての活動、日本・日本人を描こうという意欲は、ノモンハン・太平洋戦争という愚劣な日本人の戦争を描いて初めて完結したのではないか。
なによりも、司馬遼太郎という偉大な作家の執筆活動の原点は、彼自身が自ら語っているように、「二十二歳の自分への手紙」でした。つまり、昭和20年8月、敗戦によって打ちのめされた司馬さんが抱いた疑問、
「なぜ日本はこんなダメな国になったのか、本当の日本・日本人はこんなダメなものとは違うのではないか、違うはずだ」
という疑問に答えるため、彼の歴史小説は始まった。22歳の自分に手紙を書くように書いた作品群は、本当の日本・日本人探しの旅の成果でした。


