陸軍ではなく、海軍を好んだ理由

さて、戦争体験からのもうひとつの彼の屈折は、自ら体験した陸軍がどうもあまり好きではなく、海軍好きだったことです。

司馬さんの海軍好きは『坂の上の雲』を書くにあたり、元海軍大佐の正木生虎いくとらさんから話を聞いたことで濃厚になります。正木さんのお父さんは日露戦争に参加し、のちに海軍中将となった正木義太よしもと提督です。父子二代のエリートネービーから、海軍軍人のよさを感じてくれたことは、海軍軍人の一人だった私にとってうれしいことです。

しかし、所詮は「隣の芝生」なのです。

司馬さんは私に対して、海軍のことをやたらにほめ、かつ羨しがりました。私は海軍といえども軍隊であり、軍隊は結局、官僚主義のカタマリだと思っています。しかし、私が、海軍も陸軍も同じだといっても司馬さんは聞き入れてくれません。

「阿川弘之さんや大阪大総長をやられた山村雄一さんも、海軍を懐かしみ、海軍仲間の集まりがあるとみな集まって、海軍時代の話をして楽しんでいるじゃないか。陸軍にとられた連中はそうじゃない」

というんです。これは誤解を招くかもしれませんから慎重に申し上げますが、陸軍の人だって戦時中を懐かしむ人はいます。

司馬さんだってかつての上司や部下たちと毎年のように、集まりも持っていました。

ただ、司馬さんの屈折はそういう次元の話ではありませんね。自分の所属していた陸軍が、文明から遠いところにあると感じたことが大きいのではないでしょうか。

海へのあこがれが投影された主人公たち

たとえば、海軍士官は「スマートたれ」として、教育を受けます。

たしかに、私たちはそう教えられました。私たちの時代にはこういわれたのです。

「スマートで、目先が利いて几帳面きちょうめん、負けじ魂、これぞ船乗り」

この話を聞いたときの司馬さんの喜びようは大変でした。

「そうだよ、それが文明だよ。普遍的な人間のあり方だよ」

と。

司馬さんは『坂の上の雲』以外にも、『竜馬がゆく』の坂本龍馬や『菜の花の沖』の高田屋嘉兵衛といった、海の魅力に取りつかれた男を主人公にした作品を残しています。海へのあこがれはたしかにあったでしょうが、龍馬も嘉兵衛も文明の人でした。

司馬さんによれば、海軍は「文明」であり、陸軍は「文化」だということになります。文化は普遍性がなくても、あるいはそのなさゆえに存在します。土着性が濃厚になる。司馬さんが陸軍に対して厳しかったのは、普遍性のなさに尽きるのではないでしょうか。