学校をさぼり、本を読み漁った少年時代
彼が戦車隊でなく、海軍を選んでいたら、彼の人生、彼の作品はどうなっていただろうと考えると面白いですね。私はもっと厳しく海軍を書いただろうと思います。
もっとも、彼がいざ学徒出陣で兵隊に行くことになったとき、海軍を選ばず陸軍を選んだのは、こんな理由だと語っています。
「私は少年のころ、見渡すかぎり草がつづいているという風景がすきで、海などは好まず、海底に沈んでいる死体よりも陸地で腐乱している死体を望んだ」
モンゴル語を学んでいた青年です。
おそらく死ぬなら満州の荒野という思いがあったのではないでしょうか。
私は司馬さんがどうして満州にあこがれたのかと思うことがあります。たしかに満州は時代の流行でもありましたが、司馬さんの場合、少年時代の屈折が大きかったのかなあと漠然と思います。現実逃避といえば言いすぎですが、司馬さんは学校というものに、あまりフィットしなかったようですね。
小学4年生のとき、慕っていた先生が、水泳訓練中に教え子が水死した責任をとって辞職したことから、司馬さんは学校嫌いになったようです。学校ではまったく勉強せず、ついには授業をさぼってしまう。いまでいえば「落ちこぼれ」だったんでしょう。しかし彼は、その時間もっぱら自宅近くの市立図書館に通って本を読みます。ついには図書館で読みたい本を読みつくし、しまいには釣りの本まで読んだそうです。この辺がただの落ちこぼれではもちろんありません。
「陸軍嫌い」と「学校嫌い」は同じ理由
挫折は次の段階でいっそう大きくなります。旧制高校の受験失敗ですね。彼は数学が苦手だったらしく、不合格になります。
受験に失敗して友達にどうするのかと聞かれた司馬さんは、
「俺か、俺はな、馬賊になったるねん」
と、やけっぱちのように答えています。
「弱そうな馬賊やなあ」
といわれたそうですが。
大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)の蒙古語科に入り、アジア、とりわけモンゴルに対する関心がいっそう強まり、のちに『ペルシャの幻術師』『戈壁の匈奴』などを生み出します。小説家として歩み出すことになるのですが、私にはやはり不思議な思いがあります。
あれほどの頭脳の持ち主には会ったことがないのに、どうして学校の勉強くらいこなすことができなかったのか。
私は陸軍が嫌いになったのと、理由は同じだった気がします。学校というところに、司馬少年は魅力を感じなかった。本来普遍性を教えるべき学校に、あまり普遍性を感じなかったのではないか。ふつうの秀才は、その辺に鈍感ですね。感受性が鋭すぎたんだと思います。それともこれは、ほめすぎでしょうか。


