人材も技術もあるのに賃金が上がらない
インドが「産業の階段」そのものを欠いているとすれば、日本は階段はあるのに、人がその上の段へ移れずにいる。日本生産性本部は、日本が多様な輸出品目を持つ「経済複雑性」で世界トップ級の高度な産業構造を持ちながら、生産性の高い部門へ労働力を移せていないと指摘する。
優秀な人材が、生産性の低い部署や旧来型の仕事に固定され、より付加価値の高い場所へ動いていかない。年功に縛られた処遇、乏しい労働移動、減点を恐れる組織文化などの仕組みが、せっかく育てた能力を発揮する機会を奪っているのである。
人材はいる。技術もある。それでも、一人ひとりが生み出す価値と賃金が上がらない。そういった状況が、優秀な若者に強い閉塞感を感じさせているのだ。
インドでは高生産性の雇用そのものが不足しているのに対して、日本では人材や資本を生産性の高い企業・産業へ十分に移し、新しい高付加価値産業を拡大する力が弱い。症状は正反対でも、根は同じところにある。
両国から導ける教訓は共通している。それは、人に教育を与えるだけでは、その人が生み出す付加価値は自動的には高まらない、ということである。
中間層を守り、教育と産業を同期させる
そのうえで見落としてはならないのが、消費を支える中間層の存在である。技術革新が新たな消費を生み、その消費がさらなる成長を呼ぶ――この循環を回すには、成果を買い支える分厚い中間層が欠かせない。
インドのように一握りの富裕層に富が偏る二極化を避け、できるだけ多くの国民が経済成長を実感できる環境を整えることが、成長そのものの条件になる。
日本の政治でも「教育に投資すれば成長する」という議論はよく聞く。教育投資はもちろん必要である。しかし、それは必要条件であって十分条件ではない。
教育で育てた能力を生かせる企業を育て、新しい産業を生み、人材がより生産性の高い仕事へ移れる市場を作る。能力を高めた人が、それに見合った賃金を得られる仕組みを整える。そこまで含めて初めて「人材政策」であり、「成長政策」になる。
「ゴキブリ」と呼ばれた若者たちが突きつけたのは、教育を受ける機会と、その教育を生かす機会との断絶だった。
学位の数を増やすことが教育政策のゴールではない。教育と産業を同期させ、人材を付加価値へ変える仕組みを作れるか。現在も細りつつある中間層の厚みを守り、技術革新を消費拡大につなげられるか。それが、インドだけでなく、日本にも突きつけられている重要な課題である。


