駅から大工町へ歩くほど時代が古くなる
水戸駅を出て大工町方面へ向かって歩く。歩き出してすぐ、墨字の看板を残したまま空になったラーメン店の跡が目に入った。
2025年3月に開業したばかりの店である。閉店を知らせる貼り紙はなく、ガラスの奥はがらんどうのままだ。店が入っていたのは、1994年に閉店した高島屋ローズランドの建物が残る中村ビルの1階。駅から徒歩2分の立地でも、飲食店が1年あまりしか続かない。数軒先には、ガラス張りの店内にカラーコーンだけが残された居酒屋の跡もあった。
この道を進んでいると、不思議な感覚に襲われる。歩けば歩くほど、街並みが少しずつ時代をさかのぼっていくのだ。
駅から5分も歩かないうちに、空きビルや空きテナントが目立ちはじめる。まず目につくのは、金融機関の跡地だ。少なくとも3店舗が閉店・移転し、下ろされたシャッターには「移転しました」の貼り紙が残ったままになっている。
さらに進むと、2010年に経営破綻した消費者金融「武富士」の看板を掲げたビルが現れた。破綻から16年が過ぎても、看板を掛け替える借り手は現れていない。
50号線沿いでは、麻雀店や学習塾、美容室などの間に小さな駐車場が点在し、街並みは歯が抜けたように途切れている。
もっとも、この通りはもともと水戸の商業の中心だった。江戸時代の結城街道を起源とし、水戸駅前へと続く街の大動脈である。1970年代には、この沿道に少なくとも12の大型商業施設が軒を連ねていた。
県外大手が進出し、撤退後は空洞に
では、なぜここまで街並みが変わったのか。ヒントは『水戸市史』にある。
50号線沿いに集積した大型店は、1977年の時点ですでに似たような売り場構成となり、競争が激しくなっていた。さらに当時の調査では、沿道の小売業74店のうち41店が県外資本のチェーン店だった。地元商業者の参入は限られ、通りの賑わいは県外資本に大きく支えられていたのである。
だからこそ、大手チェーンが採算を理由に撤退すると、その跡を埋める担い手が育っていなかった。いま50号線に点在する空き地や空きビルは、県外資本が引いた後に残された空白でもある。
追い打ちをかけたのが、街の外側で起きた変化である。1999年には県庁が駅から南へ約4キロの郊外に移転し、マイカー通勤の職員が増えた。2005年にはつくばエクスプレスが開業して人口の県南シフトが進み、同じ年に郊外型の「イオンモール水戸内原」も開業した。中心街から人を引き剥がす力は、通りの内と外から同時に働いている。






