「共生」という美名のもと企業利益を支えている
かつて90%超を中国に依存したレアアースの輸出規制問題もコストをかけてサプライチェーンを再構築し、依存度を60%台まで下げた。代替策は必ずとられるのだ。国内の労働力人口に占める外国人労働者の割合は3.6%と限定的だ。高度経済成長時代は、有効求人倍率が1.6(現在は1.17)と高かったが、賃上げと機械化で乗り切って経済の力強さに繋げた実績がある。
外国人が労働現場に参入している事実をもって、その労働力が外国人以外に供給できないという「代替不可能性」の理屈はどこにも存在しない。「物価上昇を抑えている」という説も直近4年で1.5倍と、拡大する企業の利益率を見れば、その利ザヤは物価上昇の抑制ではなく、企業利益の一部を支えているのは疑いの余地がない。
したがって、企業側が内外差による“いいとこどり”ができる政策を「共生政策だ」と公益性を強調し、税の投入や、国民に受け入れ負担やリスクを転嫁することは、到底、正当化できないことになる。
やっぱり高市首相は移民「拡大路線」だった
高市政権は永住要件厳格化の検討や、現在5万人弱の「経営・管理」ビザは厳格化したが、40万人いる「特定技能」では送り出し国での支援拡充や、対象業種を新たに3分野追加した。さらに家族帯同も可能な「特定技能2号」や派遣労働の担い手となりつつある「技人国」が急増するなど、「拡大路線」自体は継続中だ。
格差と氷河期世代を生んだ“低賃金労働モデル”を移民政策で踏襲し、賃上げやその原資となる価格転嫁を促すのも「ポーズ」に留まることは結果の数字をみれば明白だ。「秩序ある共生社会推進」として、わざわざ地域社会に民族的、経済的な分断が発生してしまうことを容認してまで加速させているのだ。
そして、この「共生」という美しく、反論しにくいワードが、政策のラベルとなることで、不利益を訴えたい国民の声には、差別や排外主義という罪悪感が立ちはだかり、封殺されるようになる。全国知事会が昨年11月の共同宣言で「事実やデータに基づかない情報による排外主義を強く否定」と強調した動きは、立証能力に劣る庶民による抗議の権利すら、事実上奪うものともいえる。
内外差を利用した政策による、「企業利益―国民負担」の“外部不経済”は、不利益に対する口封じ的な「共生ラベル」までがセットで、スキーム化の様相すらある。後編では“共生主義”に邁進する政治家の正義は一体どこにあるのかを探る――。

