「受け入れコスト」を払うのは誰なのか
「日本人はすぐ辞めるから外国人を雇う」という言説は因果関係の逆転であろう。もちろん、政府自民党が作った政策に乗って来日する外国人自身に罪はない。内外差を利用した政策自体がもたらす経済的作用による弊害だからだ。
とはいえ、外国人が働く現場は利益率3~5%の中小企業が約6割を占める。他社との競争を考えれば導入せざるを得ない面もある。この結果、過去最高益を更新し続け、利益率7%超まで拡大している大企業の利益の一部になっているのは言うまでもない。
一方で、外国人労働者を地域住民として受け入れる際に生じる負担は利益を得る企業ではなく、社会が被る。
社会通念や価値観が大きく違う民族同士が、同じ地域で暮らせば文化摩擦は必然だ。そもそも、自分の意思による自己都合で来日した人でも、日本人が作った社会システムの“導入コスト”を回避し、わずかな維持コストの負担で生活が可能だ。これが「外国人だから」という属性による情緒的な問題にすり替わり、受け入れ負担すら日本持ちなら、不満を感じる人が増えるのも無理はない。
本来なら「最終手段」であるべきなのに…
特に、賃金水準が低く、税や保険料の納付が限定的な外国人に子供がいる場合は、認可保育園に通えば年200万円、公立学校に通えば年100万円といった公費負担も日本人にのしかかる。それ以前に、労働目的で来日するような若年層であれば子供を作るのは当たり前だ。
日本人同様に、社会へ高額な育児負担が発生する外国人を、安価な労働力目的として受け入れる政策自体が、論理破綻しているのだ。経営者が外国人雇用で得る利ザヤは、彼らからは見えにくい大きな社会負担の上に成立している構図がある。
そもそも、「外国人受け入れ政策」(共生政策)とは誰のための政策なのか。
大前提として、社会インフラを支える手段は“労働力”であって、“外国人”という属性ではない。現在の日本は「労働力人口は日本人だけで過去最多」「企業業績は過去最高だが労働分配率は過去最低」、さらに「人口減少スピードを上回るAIやロボット化の合理化予測」という状況にある。経済の原則に照らせば、外国人受け入れは賃上げと省力化を「やり尽くした後」で検討されるべき最終手段のはずだ。
