「全メニュー均一価格」が生まれた背景

「社長一人が地位も利益も独占する『大倉商店』では、社員はおもしろくないし、共に全国チェーンなんて目指せないなと。だから報酬にできるだけ差をつけず、みんなも一緒に利益をとってもらうと、そんな考えでした」

翌年には法人化し、3店舗目では当時の飲食店に珍しい社会保険や厚生年金を導入。価格は、自身が通った「全品230円均一」の炉端焼き屋と、「客単価を下げればその分市場は大きくなる」というダイエー中内㓛氏のチェーンストア理論から、150円・250円・350円のスリープライスにした。自分が社長と店長を兼ね、自分の給与が不要だったから実現できた価格だ。この頃を大倉氏は「我慢の経営」と振り返る。

けれど食材の原価が負担になり、創業1年で「このままでは倒産してしまう」と全品250円均一へ。「居酒屋で安いと言ってもらえる価格の分岐点が250~300円」だとにらみ、その安い価格に合わせて集客を狙った。

絶対に間違われない「黄色い看板」の真意

店はどう設計していったのか。その根っこには、つねに大吉の存在があったという。

「やきとり大吉」俊徳道店。1977年の創業以来「赤い看板」がトレードマーク
「やきとり大吉」俊徳道店。1977年の創業以来「赤い看板」がトレードマーク(写真=Tokumeigakarinoaoshima/CC-Zero/Wikimedia Commons

「やっぱり意識していましたね。大吉とは違う焼鳥をつくろう、差別化をしよう、からスタートしているんですよ」

その結果、焼鳥の串は大吉の2倍強の大きさに。客層も、それまでは中高年男性の世界だった焼鳥屋を、若者と女性が入って会話がしやすい店にしたいと考えた。そのため、カウンター席ではなく、テーブル席、ボックス席中心の店に変えた。

当時、関西では大吉の人気に火がつき店舗数が拡大し、通りには赤看板をマネた“大吉もどき”がひしめいていた。その洪水のなかで、「絶対に間違われたくない」と選んだ黄色い看板は、反旗を掲げるように際立った。

「大吉と同じ店を作っても、意味がない。新しい市場を開拓しようと思っていました。それを作るのは、いつの時代も若者です。だから20代を狙いました。大吉の客は40代以降が中心。とにかく、大吉とは違う焼鳥店を――それが鳥貴族の原点でした」