「焼鳥屋が好きで入ったわけじゃない」

「俺はチェーン展開がしたいんだ。お前が一緒にやってくれたら、大チェーンを作れる気がするんだ」

日々料理を作りながら漠然と、なにか大きなことがしたい、社会にインパクトを与えることがしたいという気持ちが芽生えてきていた。くすぶっていた思いに、店主の夢が火をつけた瞬間だった。

「焼鳥屋が好きで入ったわけじゃない。その方の夢、その方についていけば、私もなにか大きなことができそうな気がしたんです」

こうして大倉氏は1982年、22歳で焼鳥の世界へ飛び込んだ。毎日、昼の12時から、最後の客が午前2時ごろ帰ったあとも、師匠が酒を飲むのに付き合って朝6時ごろまで。その期間に師匠の店は1店舗から7店舗へと増え、調理、経営、新規出店のいろは、ときには賃貸借契約の同行まで、徹底的に叩き込まれた。

創業当時の「鳥貴族」俊徳道店で働く大倉社長(25歳頃)
写真提供=エターナルホスピタリティグループ
創業当時の「鳥貴族」俊徳道店で働く大倉社長(25歳頃)

家賃4万3000円、「大吉とは違う店」を作る

修行をはじめて3年が経ったころ、だんだん、師匠との考えにズレが生じてきたという。働きながら、学んでいたからだ。パナソニックの松下幸之助氏、京セラの稲盛和夫氏、ダイエーの中内㓛氏など名だたる経営者や企業の本を読み、セミナーを受講しにいっていた。

「学ぶうちにやっぱり、自分なりの考えが生まれてきますよね。会社はこうあるべき、経営者はこういう考えでやるべきだとか。それが師匠の考えとだんだんずれて、『あれ?』と首を傾げることが増えていったんです」

悩んだ末、25歳で独立。乗降客数の多い駅を狙ったが、契約したのは偶然見つけた地元・近鉄俊徳道駅前の貸店舗。乗降客は少ないが、約9坪27席で家賃は相場の3分の1にあたる4万3000円。安さの理由は、家主が不動産を本業としない実直な町工場経営者だったためだ。

9坪の小さな店。しかし、見ていた景色はまるで違った。目指したのは、ただの焼鳥店ではない。大チェーンだ。ならば自分だけでなく、「働くみんなの会社」だと思ってもらわないといけない……と考えた。