山本の墓はなぜ2つあるのか
【保阪】山本五十六は、海軍で偉くなってからも長岡にはよく帰ってきて、地元の名物を「うまい、うまい」と言って山盛りにして食べていた。講演に呼ばれれば「ホイ来た!」と、わざわざ軍服を着て演壇に上ってくれたそうですね。『人間 山本五十六』を書いた反町栄一は、山本のそういう所を非常に尊敬している。
【戸髙】「ステージ衣装」の方が、聴衆は喜びますからね。そういう所は、山本五十六のサービス精神旺盛な性格が発揮されています。
【大木】山本のお墓についても、よくわからないことがありますね。
墓所が多磨霊園にあります。非常に立派なもので東郷平八郎の墓と並んでいます。ところが、もう一つ長岡にもあるのです。こちらは山本家の先祖代々の墓です。
ならば、山本五十六のお骨はどちらにあるのか。国葬ののち、多磨霊園のお墓に入れられたことは間違いない。一方、長岡のほうにも分骨されたといわれていたのですが、数年前にそちらにもお骨の一部があることが確認されたと聞いています。
【戸髙】いくら当時とはいえ、父親に公然と愛人がいれば、どうしても家庭的には難しいですよね。なおかつ、義正氏も東京帝大を休学して、志願して海軍の予備士官になっていましたから、あの山本元帥の長男ということで、「英雄の息子」をずっと演じていなければならなかったはずです。そして、山本五十六は戦後になっても英雄でありつづけたわけですから、さらにその状態は続いた。窮屈な人生だったのではないでしょうか。
小説は海軍の良いところを描いた
【大木】そういう背景もありますね。阿川さんの『山本五十六』という作品は、旧海軍の最も良い部分を主な情報源にしていることによって、ある意味で「凹面鏡」になっているのだと思います。本当に海軍にとっては、書いてほしいところを書いているわけですから。これから読む方は、そういう面も理解していただきたいです。
ただ、阿川さん自身も、対山本家のこともあって、実は必ずしも書きたいままに書いたということではないと思います。小説にするにはそのほうが面白いからといった、独りよがりの精神ではない。おそらく、取材して出てきた事実を重く見て書いたのでしょう。
最初に『文芸朝日』に書き、それをもとに旧版を出した。そこで山本義正氏からの抗議があって、書き直して現在流通している新版になっている。新版として出し直すことを以て、山本家と和解したのでしょう。結局裁判にはならずに落ち着いたそうですが、抗議されても、作者として、できることとできないことはあったはずです。
現在流通している『新版 山本五十六』(上下巻、新潮文庫)の下巻の「作品後記」には、版が変わった経緯の事実関係だけが書かれています。






