司馬遼太郎は海軍を理想視した?
【大木】司馬遼太郎さんは陸軍の理不尽や不条理を経験していただけに、かえって海軍に惹かれたのかもしれません。「ああ海軍は素晴らしい」、「海軍とは文明である」と、そういう輝かしい存在から、昭和に向かってだんだん堕落していったと考えた。明治海軍の香りを残した士官たち、一番上澄みの人たちの話を聞いたわけですから。
陸軍については、ノモンハン事件に関係した稲田正純や瀬島龍三の話を聞いているので、当然イメージがよくなかった。
【戸髙】陸軍大学校の教育は、明治時代前期から陸軍の大先生だったメッケル(*2)以来、謀略主義が染み付いていますから、どうも物の見方が皆少し歪んでいるような気がします。
『山本五十六』が問題になったワケ
【保阪】阿川さんの『山本五十六』は、発刊後に問題になって、最初の版を絶版にして『新版 山本五十六』として出し直しています。
山本五十六の遺族と海軍OBの奥宮正武氏から抗議を受けた。遺族からは「事実と異なる部分がある」と。奥宮氏からは自分の作品からの盗作部分があると。
阿川さんは、奥宮氏はともかく山本家の人たちには話を聞かなかったのでしょうか。
【大木】阿川弘之著の『山本五十六』は新潮文庫で今なお出ていますが、それは書き直した新版の方です。旧版の存在は消えています。その旧版はなぜ消えたのかというと、山本五十六の夫婦仲が悪かったことをかなり赤裸々に書いてあったからと言われています。
たとえば山本五十六は、本人は酒を飲まない人ですが座持ちがよかった。酔っ払っていないのに場を盛り上げられる人がたまにいますが、そういうタイプだったのかもしれません。それで宴会の流れで、「じゃあもう少しウチで飲むか」と家に連れてくる。昭和の感覚からすれば、あり合わせの物でいいから、つまみの一つも出してくれと、奥さんに求めたくもなりますね。ところが、山本夫人は挨拶にも出てこなかったといった話が書かれている。しかも旧版には、山本の愛人の河合千代子という芸者についても、露骨に書いてありました。
山本の愛人について露骨に書いた
【戸髙】そうそう、それに遺族から強いクレームが入って削ったわけですね。阿川さんは山本家にはあえて話を聞いていなかったそうです。または、話を聞いた海軍OBたちから、聞かなくていいと言われたのか。
【保阪】昭和40(1965)年ぐらいのことですから、プライバシーも、今と違ってそこまで気をつかう必要が無かったこともあるでしょう。書店で売っている「プロ野球選手名鑑」に、選手や監督の自宅住所の番地まで書いてあった時代ですから。山本の愛人のことを事細かに書いている執筆者もいましたね。
(*2)クレメンス・ヴィルヘルム・ヤーコプ・メッケル 1842〜1906年。ドイツ帝国陸軍少将。明治期に来日し、日本陸軍の近代化に大きく貢献した軍事顧問。
