「物語」で勝った秀吉

ところで、この情報戦、実は合戦が終わってからも続いていた。

馬部論文によれば、秀吉自身の遅参という事実は、合戦の直後だけでなく、その後何カ月にもわたって隠され続けている。合戦からおよそ4カ月後に書かれたとされる秀吉の複数の書状を分析すると、遅参の事実が周到に伝わらないよう、書きぶりが推敲されていた形跡があるとしている。

清秀には嘘を、右近には調略を、そして自分自身の遅参には数カ月がかりの粉飾を。秀吉が本当に得意だったのは、刀を振るうことではなく、都合の良い物語を周囲に信じ込ませることだったのである。

山崎合戦之地の石碑
山崎合戦之地の石碑(写真=ブレイズマン/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons
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