一方、JR西日本も高速化を模索し、500系の高速試験車両WIN350(500系900番台)が92年8月に小郡(現・新山口)―新下関間で時速350.4キロを記録。国内最高速度記録を更新した。

その成果を受けて営業運転に投入された500系は、当時の世界最速タイとなる時速300キロを実現。東京―博多間を300系より15分短い4時間49分、新大阪―博多間も15分短い2時間17分で駆け抜けた。東海道・山陽新幹線を直通する「のぞみ」のエース格として、飛行機と対抗した。

独自設計が“あだ”となった理由

鉄道ライターの小林拓矢さんは言う。

「500系が空気を切り裂いていくように走る姿が印象的でした」

500系は計9編成(各16両)が製造された。先頭車両の「鼻」は「ロングノーズ」と呼ばれ、15メートルに及ぶ。アルミニウム合金を用いた流線形の車体は、高速走行時の空気抵抗やトンネル突入時の騒音を抑えるために生まれた。まるでジェット戦闘機のようなデザインで、内装も曲線を多用した未来的な空間だった。

「それまでの新幹線のイメージを一変させました」(小林さん)

だが一方で、500系は「不幸な新幹線」や「悲運の名車」とも呼ばれた。

背景には、東海道新幹線の事情があったとされる。小林さんは言う。

「JR東海は東京―新大阪間の東海道新幹線で非常に多くの新幹線を運行しており、台風や大雪などでダイヤが乱れた際にも柔軟に車両をやり繰りできるよう、座席配置などを700系以降の車両と統一したい考えがありました」