「原発・ガス・冷房」という3つの安全網

経済安全保障の観点で見ると、ドイツはほぼ同時期に3つの安全網を薄くした。原発、安価で大量のロシア産ガス、そして家庭の冷房インフラである。それぞれ単独なら吸収できたかもしれない。だが猛暑、価格高騰、燃料調達の不確実性が重なると、平時に「無駄」に見えた余力が一転して足りなくなる。

経済安全保障には、戦車や半導体だけでなく、停電から守られる病院、温度管理された物流倉庫、操業を続ける工場、老親が眠れる室温の確保も含まれる。国民の生命と産業を支えるエネルギーが、単一の燃料、単一の政策理念、単一の市場価格に依存しすぎれば、危機時に逃げ場がなくなる。

ドイツがロシア産ガスを一方的に「断った」という説明だけでは、実態を捉えきれない。

2026年4月に更新された「クリーン・エナジー・ワイヤー」のファクトシートによれば、開戦直前にはドイツのガス輸入の55%がロシアからだったが、2022年夏にロシア側が段階的に供給を絞り、8月末にはパイプライン供給が止まった。欧州側の脱依存政策、液化天然ガス(LNG)への転換、ロシア側のエネルギー兵器化が重なった。

手放した原発は簡単には戻せない

安全弁の喪失は、燃料調達を超えて波及した。かつてのドイツは、安いロシア産ガス、製造業の競争力、再エネ拡大を組み合わせるモデルを描いていた。ところが地政学リスクでガスが揺らいだ結果、電力価格、化学産業、家庭の暖房費、発電調整力が同時に不安定になった。燃料調達は、外交と産業の基盤である。

冗長性は平時にはコストに見えやすい。余った発電所、余裕のある送電網、予備の燃料、未使用の冷房設備は、通常時には非効率に映る。だが戦争、熱波、燃料価格高騰、干ばつが重なった瞬間、それはコストではなく命綱に変わる。

ドイツ連邦環境省の資料によれば、2023年4月15日、最後の原発3基、エムスラント、イザール2、ネッカーヴェストハイム2の商業運転認可が失効した。

ドイツの原子力発電所
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脱原発は長年の国民的議論の末の選択であり、福島第一原発事故後の安全意識とも結びついている。その経緯を踏まえたうえで、その後に起きたことを政策設計の教訓として受け止める必要がある。

それでも、経済安全保障上の重みは明確だ。原発は天候に左右されにくく、燃料を長期備蓄しやすい大規模電源である。一度完全に手放せば、設備、人材、規制、部品供給、運転ノウハウ、地域合意を再構築するのはきわめて難しい。失われるのは発電量だけではない。危機時に国家が持てる選択肢の厚みである。