納得のいく最期とはどんなものか。両親を看取ったエッセイストの阿川佐和子さんは「心臓発作かなにかで『さっきまで元気だったのに死んじゃった』という死に方が望ましいと思っていたが、見送る家族や友人の気持ちを考えると違うかもしれない」という――。

本稿は、阿川佐和子『年とる力』(文春新書)の一部を再編集したものです。

老人ホーム の空きベッド
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養老孟司さんが説く「3種類の死」

先輩や友だちの話を聞いて、自分の将来の参考にすることはかろうじてできますが、不可能なのが「死」についての事前の覚悟でしょうか。

養老孟司さんが、「死」には三つの種類があるとおっしゃいました。

一人称の死、二人称の死、三人称の死。

一人称の死とは自分の死。これは簡単。夜、寝て、朝、目覚めなければ、死んだということ。自分で「あ、死んだ」と自覚できないのだから、これはもうあってないようなもの。三人称の死は、世界中のあらゆるところで死んだ人のことだから、これもほとんど自分とは無関係です。

いちばんやっかいなのが二人称の死。家族や親しい人の死と向き合うのがいちばんつらいのだと。

なるほど。自分の死は、その死が訪れるまでの時間は恐怖や不安をもたらすかもしれないが、死んでしまえばおしまい。今まで死を経験して戻ってきた人は誰もいないから、参考にする手立てがない。死ぬまでわかりません。

なぜ伝説のギタリストは「癌」を望んだのか

これもだいぶ昔、元ザ・スパイダースのギタリスト、井上堯之さんにお会いしたとき、まだお元気な頃だったのですが、

「僕は死ぬなら癌になりたい」

とおっしゃったのでびっくりしたことを覚えています。

当時は今よりさらに、癌になったら苦しいと言われていたので、そんな痛い思いをして死ぬのは嫌だと私は思っていたのです。それより心臓発作かなにかで突然、クッと息が止まって「さっきまで元気だったのに死んじゃった」という死に方のほうがはるかに望ましく思われたのですが、井上さんは、

「だって癌になったら死ぬまでに猶予期間があるでしょう。あと余命半年と言われたら、その間にいろいろ片づけたり家族と語り合ったりと、ゆっくり時間をかけて死ぬ準備をすることができる。突然死んだら何も準備ができないもの」

そういう考えがあるのかと驚きました。