大好きな母の最期に泣かなかったワケ
下の弟と二人、夕方4時頃から母のベッドのそばで容態を見守りました。ときどき声をかけてみますが、酸素吸入器をつけた母から反応はありませんでした。まだ生きているな。あ、だいぶ血圧が下がってきたぞ。ベッドサイドモニターに現れる数値と波形を見比べながら、ずっと母の傍らで待機していました。そして何度か数値が落ちたり復活したりを繰り返した末に、夜の11時頃、「ご臨終です」とお医者様に告げられました。
弟と二人で母の手を取り、
「よく頑張ったね」
とか、
「バイバイ」
とか、
「あんまり早くお父ちゃんのとこに行っちゃだめよ。またこき使われるからね」
とか、冗談も交ぜながら声をかけ、最後のお別れをしました。
が、そのときは私だけでなく弟も涙を流すことがなかった。私は母が大好きだったので、むしろ父のときよりも悲しむだろうと予測していたのですが、さほど感情が乱れることはなかったのです。
もちろん寂しく空しい気持はあったのですが、動揺するほどではなかった。それはおそらく、たった7時間ほどとはいえ、母の最期にずっと付き合うことができたからではなかったか。弟も同意見でした。突然、訪れる家族の死より、じゅうぶんに見送ることのできたときの二人称の死のほうが、心の準備が整うのかもしれない。
そのとき井上堯之さんの言葉をふっと思い出したのです。


