身体感覚のないAIには限界がある
AIが学習して得たことばの壮大な関係図には、既に言語化されたプロの勘も含まれている。だから一見、プロの知能を代替しているように見えることもあるけれど、本質的にはけっしてそうじゃない。
AIは優秀な一般論的プランを山ほど提案できるけど、身体感覚のないAIには、「今という時代、この案件、この人、この場所、この気分、この商品、この匂い、この味、この感触、この動き」に寄り添って、クライアントの心や事情にフィットした答えかどうかを吟味するすべがない。AIが出してきた出力を腹落ちさせる人を、決して軽んじてはいけないのである。
20世紀、プログラマの仕事は量で評価された。何行書いたからいくら、何時間働いたからいくら、のように。しかしながら、同じ機能を1万行で書くプログラマと、8千行で書くプログラマがいたら、絶対に後者のほうが優秀である。プログラムの抽象度が高いので、テスト項目数が少なくて済むし、メンテナンスが楽だし、改造にも耐えられる。当然、バグも少ない。
ブルーカラーが再評価される時代
ダラダラ残業して、贅肉の多いプログラムを書くプログラマのほうが実入りが良かったあの時代。AI開発の現場にいて、知能とは何かを追究していた私には、人間の脳が蹂躙されている気がした。
知能とは、知識生成演算+身体性に基づく勘で発揮するものなのに、生成物だけで評価される(すなわち知識生成演算だけが人間の知能だと思われている)ホワイトカラーの人たちは、人工知能が登場したら、尊厳を奪われる気がして意気消沈してしまうに違いない、と。――そして、それがまさに今、起こっているのである。
これに対して、身体を動かして成果を出すブルーカラーは、従来、身体性に基づく勘が評価されてきた職種である。AIの登場によっても、人間の価値は変わらない。それどころか、今後はさらに上がり続けるだろう。社会はAIによってホワイトカラー労働を大きく圧縮できるので、現場で動く人材に資本を投入できるからだ。ブルーカラーの収入は大きく増え、人材も増やせるので、一人一人は今よりゆったりと仕事に取り組めることになる。

