身体感覚のないAIには限界がある

AIが学習して得たことばの壮大な関係図には、既に言語化されたプロの勘も含まれている。だから一見、プロの知能を代替しているように見えることもあるけれど、本質的にはけっしてそうじゃない。

AIは優秀な一般論的プランを山ほど提案できるけど、身体感覚のないAIには、「今という時代、この案件、この人、この場所、この気分、この商品、この匂い、この味、この感触、この動き」に寄り添って、クライアントの心や事情にフィットした答えかどうかを吟味するすべがない。AIが出してきた出力を腹落ちさせる人を、決して軽んじてはいけないのである。

20世紀、プログラマの仕事は量で評価された。何行書いたからいくら、何時間働いたからいくら、のように。しかしながら、同じ機能を1万行で書くプログラマと、8千行で書くプログラマがいたら、絶対に後者のほうが優秀である。プログラムの抽象度が高いので、テスト項目数が少なくて済むし、メンテナンスが楽だし、改造にも耐えられる。当然、バグも少ない。