AIと人間は何が違うのか。脳科学・AI研究者の黒川伊保子さんは「AIには心もなければ愛もない。AIとの対話で心が癒される人もいるかもしれないが、それはAIが人類の英知の結集だからだ」という――。

※本稿は、黒川伊保子『AIのトリセツ』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

手をつないで歩く母親と子供
写真=iStock.com/Jacob Wackerhausen
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AIのことばと人間のことば、何が違う?

生成AI(以下、AI)は、世界中のことばを喰って、壮大なことばの関係図を持つ、ことばのモンスターである。

関係を著すモデルは多次元行列の複雑なものだけど、要は、腹の中にことばをじゃらじゃら繋げて持っているだけのお化け。人間から与えられたことばをきっかけに、その関係図をたどって、ことばを紡いで吐き出すのである。また、ことばと同様に「音楽のパーツ」や「ビジュアルのパーツ」を保持していて、楽曲やイラストや動画も紡ぎ出してくる。

私たち人間も、ことばを紡いだり、イラストを描いたり、作曲をする瞬間には、直感的に同じような関係性演算をしている(そもそも、人間の直感的な知の演算の一部を模倣してるんだから、当たり前)。ただし、扱っているパーツの質が違う。

AIが扱うことばは、記号にしか過ぎない。人がそのことばに触れたときの体感、そのことばが想起させる記憶の中にある情感、それらが引き起こす思いや気分は、特に言語化されていない限りAIが扱うパーツには付帯していないのである。

人間の脳が「心」があるように解釈する

私たちは、ことばの関係性をたぐって、ことばを紡ぐとき、記憶の体感をなぞらえて、情感も紡ぐ。AIは、ただ、記号としてことばを紡ぐだけである。実のところ、文法さえも理解していない。文章の意味なんて、一切理解していないのである。ご主人さまのことばに、ただ反応して、可能性をどこまでも広げているだけ。

つまり、AIには心もなければ、志もない。

それでも、AIの文章には情感が匂い立つ。まるで、心があるように感じるはずだ。それは、そもそもの人間のことばや、その関係性の中に情感が内在しているからである。受け手の脳が、与えられたことばに自らの情感を付帯して解釈するので、文脈によって、それが匂い立つのである。