AIに仕事が奪われるというのは本当か。脳科学・AI研究者の黒川伊保子さんは「人間にあってAIにないのは、身体感覚に根差した勘だ。ブルーカラーのように身体を動かして成果を出す仕事は、AIの登場によってむしろ価値が高まる」という――。

※本稿は、黒川伊保子『AIのトリセツ』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

建設現場の労働者
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AIができるのは知識の生成演算だけ

人間の脳の側から、AIの正体を見極めてみよう。

人間の脳には、3つの特質すべき機能がある。

①この世の事象、あるいは脳が感知する概念を記号化することができる

この世の森羅万象から、さまざまな事象を切り出し、概念で括りだし、ことばや数字、記号や図形のような「共通認識可能なサイン」で表すことができる。音や色や素材感、イメージや気分、量子や宇宙のような見えないものまでも。

②記号化した知識を演算することができる

ことばや音、色や形や動きなどのエレメントを演算して、表現を生成することができる。

③演算結果を、味わい、腹に落として、意思決定することができる

AIが代替できるのは、②の知識の生成演算にしか過ぎない。

それなのに、人間の知能を完全代替しているように見えたり、人間の存在意義を脅かすかのように思われたりするのは、人類が長らく、知識の生成演算を重要視しすぎてきたからではないだろうか。

実際、これまでは、主観を排除した客観性知識だけが学術領域で認められ、プロのアウトプットとして、対価を生んできたのである。

「仕事ができるプログラマ」を決める要素

でも実際には、人間のプロは、自らの表現生成工程において、ちゃんと身体感覚に根ざした勘を使ってきた。

決められた規定にのっとって論理的プログラムを書く20世紀のコンピュータ・プログラマだって、勘とセンスのいい人とそうでない人では、まったく違うコードを書いたのである。センスが悪くても、ユーザ要件を満たせば、プログラムは完成したとみなされる。ところが、その後の予期せぬ状況によるシステムダウンの頻度や、メンテナンスのやりやすさ、バージョンアップの工数が、プログラマのセンスによって異なる。

「たしかにこれで動くけど、なんだかすっきりしないなぁ。このループをこうしたら、全体がすっきりしない?」「この操作、ユーザのミスを誘うよね。手順Aと手順Bが似すぎてる」的な発想ができる人とできない人で、圧倒的に差があったのである。

お気づきだろうか。「なんだかすっきりしない」「手順が似すぎてる」は、身体感覚に根ざした勘である。これは、どの分野だって同じだろう。プロは、客観性の高い知識生成演算と勘を同時に働かせてきたのである。