「寿司ロボット」で進んだ“大衆化”
寿司は日本食の代表といえる存在だが、ひところは“高級な食べもの”の代表格でもあった。家族そろって寿司屋にでかけるなど、庶民には縁遠いことでしかなかったのだ。それが現在、もちろん高級寿司店もあるが、家族で美味しく回転寿司にでかけて腹いっぱい食べるのは“普通の光景”になっている。寿司が大衆化しているわけだ。
寿司の大衆化を創業者が模索しはじめたのは、大阪万博(万国博覧会)が開催された1970年だったという。この年は「外食元年」と呼ばれ、海外の食文化が一気に流入してきた。この年にドムドムバーガーが東京・町田市に1号店をオープンし、翌年には日本マクドナルドの1号店が東京・銀座の三越に誕生した。日本初のファミリーレストランが登場したのも1970年で、「すかいらーく国立店」が1号店である。
「気楽に食べられるものが普及し、家族で安く食べられる店舗が広がっていくと、創業者は感じました。その流れに寿司を乗せようと考えたのです」と、谷口社長。
1958年に大阪府で創業した「廻る元禄寿司」が世界初の回転寿司チェーンで、コンベアで寿司がまわるスタイルはいまと変わらない。ただし、握るのは職人の手作業で、その職人が不足しているために思うように店舗展開ができない状況にも陥っていた。大衆化は足踏みしていたのだ。
その職人不足を寿司ロボットで補えば、回転寿司の店舗展開は急速にすすみ、寿司は誰もが気軽に食べられるものになる。足踏みしていた寿司の大衆化は一気にすすむ、と創業者は考えたのだ。
減反政策に憤った創業者
創業者が寿司の大衆化を考えたのは、米飯食文化が危機的な状況にあったからである。日本人がコメを食べなくなったために、コメの過剰生産となり、その対策として政府は、稲の作付面積を強制的に減らしてコメの生産量を減らそうとした。減反政策である。
これに、創業者は危機感をおぼえていた。日本農業の中心は米作であり、そのコメ作りが強制的に制限されていけば、日本の農業そのものが壊滅しかねないからである。
必要なのはコメ作りを制限するのではなく、コメの消費そのものを増やしていくことだと、創業者は考えた。そうした発想から、米飯食を拡大するための手段として創業者が考えたのは、寿司ロボットだけではなかった。
ハンバーガーのバンズ(専用の丸パン)の代わりに圧縮して焼き固めたご飯を使うライスバーガーをハンバーガーチェーンが発売して話題になったが、これを提案したのは鈴茂器工である。そのための機械も手がけている。
いまやコンビニではおにぎりは定番だが、そこには1983年に鈴茂器工が世に送り出した「おむすびロボット」が大きく貢献している。1984年には、のり巻きロボット「のり巻きくん」も生みだした。これらのロボットがコンビニやスーパーで利用され、まちがいなく米飯食の拡大に貢献している。創業者の思いが実現されつつあり、その思いを鈴茂器工はいまでも引き継いでいる。



