唯一決められたのは「自分の最期」
こんな中で、長治は一度も自分で状況を動かすことができなかった。叔父の賀相が動き、家臣団が動き、周囲の情勢が動いた。長治はその都度、波に飲まれるしかなかった。
唯一、自分で決めたのは死に方だけだった。
ここで効いてくるのが冒頭でも記した辞世「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」である。
恨む相手ならいくらでもいたはずだ。無断で城を壊した秀吉、来なかった毛利、勝手に逃亡した村重、そして何より引きずり込んだ叔父の賀相。それでも「誰も恨まない」と書いた。何も決められなかった男が、最後の最後に一行だけ、自分の言葉を残したのだ。



