こじれ始めは“秀吉との打ち合わせ以降”

これに対し、信長公は「西国攻めの大将には、志が高く、武勇にも知略にも優れた羽柴筑前守(秀吉)が適任である」として、ただちに秀吉を任命した。秀吉はすぐさま出陣し、天正6年(1578年)3月4日、西国平定のために都を出発した。

ここからは、長治が信長に従うことには迷いがなかったこと。その上で、大将を寄越してくれたら先陣となると、やる気まで見せている。そこで、信長はさっそく秀吉に播磨に赴くよう命じたという流れだ。

この時点ではどこにも離反する理由がない。『別所長治記』によれば、話がこじれ始めたのは、到着した秀吉との打ち合わせ以降である。