布団に横になり、テレビで甲子園の試合を見ていた男性に、水野さんは「(訪問)リハビリさんと一緒に外行ってみるのはどう? 今、桜きれいよ」と誘う。けれど、妻は「今はトイレに行くのがせいいっぱいです」と説明する。「どうしたもんかなあ」と水野さんがつぶやくと、男性は「こんなもんや」とかすかに笑った。
水野さんは「訪問診療の現場には、生きた証しが雑然と転がっている」という。そこに住む人同士の会話、仏壇の上にあった写真、見ているテレビ番組など、訪れた家ではありとあらゆるものが、その人の暮らしを物語る。
「病院で病院着を着ている患者さんを診るのとはまた全然違うよね。病院では家族構成も家系図みたいなものしか見ないやん」
往診先では、家系図には表れてこない関係性を感じ取る。その上で一貫して大事にしているのは、「何が患者(と家族)の希望なのか」ということだ。
とはいえそれは、簡単なことではない。これまで、医療の正義と患者の希望のはざまで度々苦悩してきた。
「相手の立場に立つ」――少年院から変わらぬ行動
30年前、水野さんが18歳の時に入った少年院で、何度面談を受けても達成できなかった行動目標がある。それは、「相手の立場になって考える」というものだ。
子どもの頃、叱られても何がいけないのか全く分からなかった。自分の中に痛みやつらさといった感情が湧かず、それゆえに人を傷つけることに抵抗がなかったという。少年院での面談を通じて、初めて「自分は人の気持ちが分からないんだ」ということに気がついた。
医者として病院で働き始めてからも、それは変わらなかった。
ある時、救急で重症の患者が運ばれて来た時に、フリーズしてしまった。医師である水野さんがフリーズするとみんなが動けなくなり、どんどん状況が悪化して焦りがつのる。そこで、考えていることを声に出してみると、するするとみんなが動き出した。
振り返ってみれば、今までも声に出している時の方がうまくいっていたし、訓練のときも声に出すように指導されていた。
以来、「今ここでつまずいています」「なぜこうなるか理由を考えています」など、自分が考えていることを積極的に口に出すようにすると、相手の気持ちが分からなくても、理解してもらえることが増えた。
医者として「命を救う」という命題があったからこそ、図らずも生来の特性だった「相手の気持ちが分からない」という壁を突破するための方法を見つけたのだ。


