※本稿は、岩田松雄『新版「君にまかせたい」と言われる人になる51の考え方』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
“雲の上の存在”に思い切って聞きに行く
日産の若手時代、周囲から驚かれたことがありました。私は「この人は」と思える人なら、部長であろうが、役員であろうが、よく直接話を聞きに行ったからです。当時の部長は100人以上の部下を率いていて、若手社員にすれば、雲の上の存在でした。しかも、直属の上司を飛び越えて話に行くわけですから、まわりは驚いていたと思います。
しかし、聞いてみたいことがあれば、直接聞くべきだと思っていました。8割は好奇心。2割は、勉強のためでした。内心ビクビクして行ったのですが「むしろ、どんどん来てくれ」と喜んで相手をしてくれる部長もいました。
若手社員だからいいのです。これが中堅になって組織のことがわかってきたら、なかなか踏み出せなくなります。若いときだからこそ、できることもあるのです。
部長と話をしている私を見て、課長たちも同僚たちも、びっくりしていたと思います。何か直訴でもされたら、と思っていたのかもしれません。
思い切って偉い人に話を聞きに行く。疑問に思っていることを尋ねに行く。いろいろ勉強になる話をしてもらえる可能性があります。
自分もポジションが上がっていったとき、若い人が、いろいろな疑問を聞きに来てくれると、「この人は問題意識があって、見どころがあるな」と思っていました。もちろん愚痴や人の悪口を言ってくる人はNGでした。
ただし、聞きに行く相手は選ばなければいけません。この若造が生意気なことを言っている、と思われてしまうこともあります。
会社では少し出っ張っていたほうがいい
日産では同期は700人いました。本当に優秀で、尊敬できる同期もいました。
しかし、遊びや合コンに夢中になっている人たちもいました。私は早く結婚したこともあり、遊びにはあまり興味がありませんでした。今やるべきことは、一所懸命仕事に打ち込むことだ、と思っていました。会社のために、自分に何ができるのか。それをいつも意識していました。
何より尊敬する上司であるFさんの影響が大きかったと思います。私は今から思えば何もわかっていない生意気な若造だったと思いますが、日産がどうあるべきかということを常に考えていました。高い視座を持つことができれば、自分の意識も変わっていきます。
結果はともかく、一所懸命な姿勢を、ちゃんと見てくれる人もいました。
若い頃組合に楯突いたことが原因なのか、上司と合わなかったのが原因なのか、昇進が2年も遅れていました。留学後、あまり話したこともない次長に強く推薦してもらって、前例のない昇進をして、やっと同期に追いつくことができました。私が嫌っていた組合からも、「中から改革してくれ」と青年部の役員になることを頼まれました。
まさに「捨てる神あれば拾う神あり」。だから、いろいろなことに前向きに、思い切ってぶつかっていったほうがいいと思います。
出る杭は必ず打たれます。会社生活には浮き沈みがあります。本当に私は生意気な未熟者でした。わざわざ敵を作るようなことをする必要はありませんし、TPOをわきまえる必要もあったと思います。一所懸命に頑張っていても、風当たりが強かったり、生意気と思われたりします。
それでも、若い頃は少しぐらい鼻息荒く、杭は出っ張っていたほうがいいと、私は思います。

