【田原】そんな人たちを逮捕したって意味ないじゃない。
【土井】おっしゃるとおりです。おそらく当初はアメリカの要請があり、情報収集のために逮捕したのでしょう。彼らが何の情報も持っていないことはすぐわかったはずですが、オーバーステイという名目で1度逮捕した以上、タリバン政権と無関係だから釈放するわけにもいかず、国としては彼らを国外追放手段にするしかなかった。それは違うだろうということで、アフガン難民の弁護団ができたのです。弁護団は20~30人で、私が最若手でした。
【田原】裁判は、どういう戦いをした?
【土井】彼らは茨城県牛久などの収容所に捕まっていたので、まずは収容所から出すことと、国外追放を止めることを裁判で争いました。まず強制送還を止める仮処分をやって、これは最初の半年で何とかなりました。ただ、釈放のほうは裁判所の判断が割れて、釈放された人もいれば、されなかった人もいました。また、地裁では釈放だったのに、高裁でひっくり返ってふたたび収容所に戻った人もいました。
【田原】最終的にはどうなったの?
【土井】これまで難民裁判は、圧倒的に国が有利。地裁で難民側が勝ったときは大きなニュースになったのですが、結局、最高裁で負けて、ほとんどの人が国外追放になりました。
【田原】アフガンに戻ったのですか。それは厳しいね。
【土井】いや、国外追放は日本から出ていけばいいだけなので、彼らの多くは途中下車して別の国で暮らしています。私が担当した人も、いまはドバイかな。裁判は最終的に負けましたが、裁判を3~4年と続けるあいだに“途中下車先”を探すことができたので、最低限の時間稼ぎはできたと思っています。