20世紀後半の少年たちにとって、テレビは夢を運ぶメディアであった。スポーツやアニメのヒーローたちが紡ぐ夢は、津々浦々の茶の間に降臨した。それは、まだ貧しい生活の中にあった当時の少年たちの、未来への夢と希望そのものだった。
長嶋茂雄。彼は、その時代に圧倒的な輝きを放った太陽のような存在だった。少年たちは、彼の華麗なプレーに酔いしれ、彼のようになりたいと夢見た。今もなお、50代以上の男たちの心の中には、強烈な記憶として残っている。
しかし、私たちが長嶋茂雄という人物の何を知っているのかといえば、かなり疑わしい。天真爛漫な「天才」。それゆえ突飛な言動も多い「すこし変わった人」。その程度のイメージではないか。
しかし、彼の自伝である『野球は人生そのものだ』(日本経済新聞出版社)を読めば、それらがいかに浅薄な理解であるかがわかる。彼は、何よりも「ファンを魅了する」ことを強く自分に課した人であり、そのために徹底した創意工夫と鍛錬を惜しまない、空前絶後のプロフェッショナルであった。
長嶋は、球場で起こるすべてのことは、観衆やテレビの向こうのファンを魅了する手段なのだと考える。そして、その1つ1つの価値を最大化することに、全精力を注ぐ。たとえば、少し大きめのヘルメットを、わざと被る。空振りのときにヘルメットが飛んで、観客が喜ぶからだ。成績的には価値のない「空振り」という行為は、その瞬間、明らかに有価値化を遂げている。
守備にしてもそうだ。ゴロを捕るときのグラブの出し方を何種類も用意する、送球に歌舞伎の見得の所作を取り入れるといった創意工夫を、長嶋はする。相手選手の凡打でさえ、極上のエンターテインメントに変えようとするのだ。
そうした彼の「創意工夫」の中でも、究極のものは、相手から敬遠される際に、バットを持たずに打席に立った(4度も!)というものだろう。ファンに対し、敬遠ほどの背信行為はない。相手への無言の抗議であると同時に、そうした局面さえも、奇矯な行動によって有価値化してしまおうとする、表現者・長嶋の本領が、鮮やかに反映されたエピソードなのである。
プロとは、夢を紡ぎ、人に与える存在だ。しかしそれは、顧客の目線で真剣に考える思考努力と、日々の鍛錬に裏づけられなければ、実現できない。そしてそれを支えるのは、強い使命感以外の何物でもない。
長嶋が師と仰いだ、ジョー・ディマジオは、ケガをしても休もうとはしなかった。それは「私が休んだそのゲームに私を初めて見に来てくれた子どもがいるかもしれない」という思いゆえであった。
夢を紡ぐ責任、それは重い。そして、長嶋やディマジオのように、その重さを引き受けようとする、強い使命感を持った真のプロフェッショナルを少年たちは、そして希望なき21世紀を歩くかつての少年たちは、今も待ち続ける。