人は自己の感情に蓋をして生きている。退屈な授業にも付き合うし、馬鹿な上司にもキレたりせず、追従など言いながら勤め続ける。買い物にしてもそうだ。本当に気に入って買うことなど滅多になく、大半は「まあこんなものだ」と、諦念にも似た気持ちで買っている。まともな大人はそんなことで騒がない。それが世の良識というものなのである。
そうした良識に抗い、自己の感情・感性に殉じることで巨大なビジネスを生んだ人物がいる。スティーブ・ジョブズである。周囲との軋轢を意に介さず、自分の完璧主義を押し通す彼の強靭なEQ(感情知能)がなければ、iMacもiPodもiPhoneもありえなかった。1人の人間の内面が世界を動かすという稀有な事例を、私たちに目撃させてくれた人物なのである。
アップル社の商品を使って気づくのは、その操作性やデザイン性の圧倒的な高さである。それらは、これまで顧客自身が意識すらしていなかった、他社製品の「不便さ」「格好悪さ」を白日のもとに晒し、顧客の内面に新たな「基準」を生み出すことで、アップルへのロイヤルティを不動のものにする。「まあこんなものだ」という、他メーカーと顧客の間の黙契を、完膚なきまでに破壊するのである。
面白いのは、この究極の顧客志向を実現させているのは、実はジョブズの我が儘かつ偏執的な美へのこだわりだという点である。たとえば、初代iMacの開発にあたり、彼は電子回路基板を「醜いので変えたい」と主張したとされるが、この発言が顧客志向に発するものでないことは明らかである。そこにあるのは「偉大な大工なら、誰も見ないからといって、棚の裏側に悪い木材を使ったりしない」(林信行著『スティーブ・ジョブズ 成功を導く言葉』青春新書インテリジェンス)という、彼の過剰な美意識だけだったのだ。
一方、彼の過剰なこだわりは、部下にとっては、想像を絶する負荷を生む。彼の美意識を満たすまで、際限のない修正が続いたうえに、要求に応えられないと、聞くに堪えない言葉で罵倒される。あるいは、ある日突然にクビを宣告される。彼にとって、自己の美学がすべてであり、その妨げになるようなものは、何ら意味もない存在とされてしまうのである。
ジョブズは暴虐なエゴイストである。しかし、だからこそ究極の「他人思い」の商品を創ることができた。これはビジネス史上に残る、強烈なアイロニーといえる。
ところで、このアイロニーを、「空気を読む」ことで世を渡っていこうとする、この国の企業人たちは、どう受けとめるだろうか。「アメリカだから」「ジョブズだから」という口実でやり過ごし、相変わらず組織の和を気にし、消費者アンケートを気にしながら、無難なビジネスを続けていくのだろうか。それも必要なことかもしれない。ただその間にも、世界のどこかで第2、第3のジョブズが日本企業を凌駕していくだろう。