「就活で不利」を克服するための編入学

当時、偏差値が45程度だった和歌山大学夜間主コース(編註:2007年度から募集停止)に進学した田中さんは、硬式野球部のマネージャーに精を出していました。しかし、硬式野球部の先輩達の多くが、就職内定となるのが遅かったことから編入学を選択。滋賀大学の経済学部に進学します。

筆者も大阪産業大学から龍谷大学への編入学を経験していますが、この決断は非常に共感できます。むしろ、私の場合は学歴コンプレックスからの逃避という側面が強かったように思いますが、田中さんは、就職活動における具体的な不利益を冷静に分析し、戦略的に編入学を選択しています。

私が感情的により高い偏差値を求めていた一方で、田中さんは就職という出口から逆算して動いていました。同じ編入学でも動機の明確さが全く違うため、田中さんの決断は私のかつてのものよりも素晴らしいと感じます。

就活も4年生になる頃にはスタンレー電気、ミズノ、宝酒造等の5社の内定を取り、大手電子機器メーカーで自動車用の照明機器の開発や販売を行っているスタンレー電気に就職を決めました。横浜市内に転居し、仕事も最初は楽しかったものの、少しずつ状況が変わっていったそうです。

「妊娠をきっかけに、配慮としてレーザープリンターで印刷した紙をラミネートしたり、ポップを作るためにハサミで切って裏に強力両面テープをつける仕事になりました。今では想像もできないかもしれませんが、当時はそれもやむないのかなと思わざるを得ない時代でした」

大手企業の雑用係から「税金を徴収する仕事」へ

環境を変えようと思った田中さんは、公務員を目指します。団塊の世代大量退職、好景気のため募集人員が多く倍率も例年より低かった2008年採用試験を受験し、横浜市役所に入庁しました。前職に比べると男女平等な職場だったこともあり、田中さんは税金の徴収事務の仕事で活躍する機会を掴みます。

横浜市役所で働いていた際のエピソードを語る田中麻衣子さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
横浜市役所で働いていた際のエピソードを語る田中麻衣子さん

「税金徴収の業務だと、たとえば企業の1回目の不渡り、いわゆる“片目”の情報が入ったとします。まだ税金を徴収できる余地があるこの段階では、国税や県税、銀行など他の債権者も一斉に動きだします。そこで私は、どの企業をターゲットにするのかを迅速に判断し、チームを編成していました。『横浜市役所です!』と他の債権者に負けない勢いで、取引先に踏み込んでましたね」

仕事に燃えてきた田中さんでしたが、入庁後に離婚を経験。シングルマザーとなり、家族や地域の人たちの助けを得ながら子どもの世話をしていたそうです。

税金徴収の現場は、当時の横浜市役所の中で最もストレスが高いと言われるほど過酷だったそうです。時には給与を差し押さえるために、横浜港の周辺にある「港湾関係のビル」へ足を運ぶこともあったそうです。

「ビルのなかは、サスペンスドラマに出てくるような“分厚いガラスの灰皿”が置かれているような世界です。港湾関連の社長を相手に、直接「税金を納めてください」と迫りました。もちろん非常に恐ろしい体験ではありましたが、それ以上に税金を徴収することの達成感と使命感に突き動かされていたんです」