イースター島にはどのような歴史があるのか。作家のギデオン・デフォーさんは「およそ800年に人類が移り住んだイースター島では、モアイ像など独特の文化が築かれた。長く続いたイースター島の平和は、恐ろしいヨーロッパ人の到来で終わりを迎えた」という――。(第4回)

※本稿は、ギデオン・デフォー『新版 世界滅亡国家史』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

イースター島のモアイ像
写真=iStock.com/RachelKramer
※写真はイメージです

絶海の孤島に舞い降りた殺人鬼

【ラパ・ヌイ(イースター島)】〈1200年頃〜1888年〉
人口 1万2000人(最大時)
首都 厳密な意味での「首都」ではないが、ハンガロアが中心地だった
言語 ラパ・ヌイ語
滅亡原因 ネズミ、病気、思慮の浅さ、恐ろしいヨーロッパ人の到来などのさまざまな要因が重なった
現在 チリの一部

1866年、1隻の船がイースター島に到着した。船には2人の宣教師と、不幸なことに、元武器商人で血も涙もない殺人鬼、ジャン=バティスト・デュトル=ボルニエが乗っていた。

王を自称するデュトル=ボルニエは、それから12年間で住民の大半を殺害し、島を羊牧場に変えた。

大量のモアイ像が作られたワケ

ラパ・ヌイの創世神話には「マケマケ」という最高神が登場する。

マケマケはヒョウタンとの間に子どもをつくろうとしたが、うまくいかなかった。次に石を相手にしたが、これも失敗に終わる。しかし3度目、マケマケは高く盛られた土と交わることに成功し、その土から人間が誕生したという。

他方、放射性炭素年代測定法やミトコンドリアDNA解析によって、ラパ・ヌイ人の祖先はポリネシア人であり、およそ800年前にイースター島に渡ってきたことがわかっている。この先住民は、すぐに2つの部族に分かれて争うようになった。西のトゥ・ウ族と東のオト・イトゥ族である。

どちらの部族も「モアイ」という巨大な顔の石像を作った。彼らはモアイの大きさを自分たちの強さと考え、相手よりも大きいモアイを作ろうとした(1)

(1) イースター島には、「巨人(エル・ヒガンテ)」と呼ばれる20メートルを超えるモアイが寝かせた状態のまま放置されている。